2012年11月10日土曜日

ふと想う日々 2

雨の日   そういえば


学校が雨の日   女子生徒たちが決まって言う言葉は


髪の毛がまとまらない


雨の日は   髪の毛が広がる   うねる


そう言って   口々に愚痴をこぼしているのが


雨の日の   お約束   日常風景だった


だけど考えてみたら


不思議だよね


水分は髪をまとめるはず


なのに逆に広がって   まとまらなくなるのは


それは


水分が   髪の毛がまとっていた表面の気を


剥がしてしまうから


髪の毛が   本来の姿を現すんじゃない?


晴れの日には   見せかけの美しい気は


雨の日は   偽りの姿を保てない





震災後に   その理由を知りたくて


その理由を求め続けている魂と


それを諦めている人たちと


目覚める意識は全く違う


けれど   震災後しばらく経っても


その魂たちでさえも


答えを   見つけられないままだとしたら


日常の中に   埋没していくしかないのなら


夢を想い出せないままだとしたら



自然災害は   人間の意識の進化   深化を促すためのものでもあり


火山の爆発や   大きな自然災害が起こるたびに


人類は変化していった


それは科学的にも証明されつつある



自分は好き勝手に   ここで妄想を垂れ流しているけれど


なんとなく   もう妄想じゃないような気がしてくる


ただの妄想   幻想   イメージの遊び


その内の一つが   もしかして当たるかもしれない


そんな感じで   書いてきたけど


それが起こるような   予感は


やはり人間の意識の目覚めは


実際に体験しないと無理なのかもしれない


それは私たちの心の奥底で


もしかしたら望んでいるとしたら


やがてそれは   否が応にも   引き寄せられることになる



夢を想い出し始めたら


それが盗まれていたことがわかる


夢を想い出し始めたら


夢の種は   私たちの中にあったことがわかる


ただずっと   


忘れさせられていただけ





直感やイメージは   降りてくるもの   


声は   聞こえてくるものだから


それは   受け取る力がないと


受け止められない   受け入れられない



受け取るにも   力がいる


子供を抱きかかえるにも   力が要るように


格闘技も   まず受け身から学ぶように      


受け取ることも   ひとつの力


受け取る力がないと


砂は   水は   手から零れ落ちて行く







自分が愛した相手から   見返りがなくても   


その相手に付いている護りやコードは


愛した者に   ついてくる


誰かを愛して   たとえ報われなかったとしても


本当は絶望することはない


本人から愛が返って来なくても


相手の護りは   相手の想念体は


あなたがしたことを知っている


だからあなたを   護り続ける


あなたに力を   与え続ける




たとえ相手に裏切られても


別れることになっても


嫌な想いをさせられていても


相手がこの世から   居なくなっても


相手の想念体は   あなたが相手にしたことを


ちゃんと見ているから


だから   愛したことは   決して


無駄になったりはしない




愛の対象が広ければ広いほど   多くの護りが付き


その愛が深いほど   強い護りが付く







ケヤキの若葉

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