2012年11月11日日曜日

ドラマに見る夢の種

テレ東の深夜ドラマが   不思議なテイストになっている


勇者ヨシヒコの話は   指輪物語か?


ファンタジーのコメディという   ちょっと面倒くさい作りなのでw


ちゃんと観たことはなかったけど   ネット上では結構注目されている


たまたま観た話に   少し驚いた



勇者たちが幽霊が出る村にやって来ると   村長に収める年貢に苦しむ村民に出会う


悪徳村長なのに   村に出る幽霊を退治してくれる力があるので


誰も逆らえない


勇者たちが村に泊まると   幽霊とは


村長に寝首を掻かれて殺された者が   恨んで出ていることがわかった


なのにそれを死後も   村長が利用して私腹を肥やしている


どっかで聞いたことあるような話(笑


これは小さな村の話だけど


本当はこの世界の話   それがドラマになって放送されている


情報がみんなに   流れ始めていて


どんな情報も   最初はフィクションとして表現される


DAY AFTER TOMORROW 2012


フィクションが現実になったとき   それはもう決められていたことを知る





最後に勇者が村長に鏡を向けると   その顔には取りついた悪霊の姿が映り


勇者たちに退治される


村長に向けられた鏡は   潜在意識のような気がする


そこに映し出された姿は   本当の姿


それがバレタとき   その存在は消滅する




私はこのドラマを観ている間   ずっと


登場人物のファッションを   ずっと見ていた


彼らのファッションが   素敵すぐる



古代ヨーロッパか   その原住民をイメージしたような


ファンタジーに出てくる村人のような姿  (後でドラクエと知る)


この勇者たちのファッション


ドルマンやポンチョを着ている   今の流行に


かなり近くなっている


多分その内   違和感がなくなる





布を巻き付け   腰にベルトをかけ


ゆるいドレープに   ストールやマントをかけている


動きやすく  波の様なドレープは


服という枠に   身体を縛らないし


暑い時寒い時   布の巻き方一つで   しのぐことができる




ファンタジーの世界の登場人物がよく着ている


古代だか中世風の


肩に掛けたマントは


このコメティを観ていたら


ああ   これは実は   雨具であり寝具だったんだなと


気付いた



人が旅の道中   横になりたいとき   腰を掛けたいとき   寝たい時


マントは毛布や敷物代わりになり


雨に降られたときは   雨合羽にもなる


自然の中で生きていくのに   必要な知恵が詰まっている


地下足袋のように平らで   長いブーツも   足を守り


平らな道も   山の中の険しい道なき道も


地面に即して   吸い付くように   しがみつくことができる



今の社会が崩れたら   私たちは   否が応にも


こういう服装をするようになる


私たちが着ているものは   途上国と言われる国での   大量生産品


今の世界が   これまでのように行かなくなるとしたら


真っ先に手に入らなくなるもの


そして布を巻きつけたような   緩いファッションは


もうすでに   私たちの服に   ところどころ現れていて


自然の緩衝によって   服の形も崩れていくことを   


私たちはもう   受け入れ始めている




勇者ヨシヒコの後の番組も


気が付いたら流れていて   それは昔懐かしい


キョンシーを操る少女の   現代版コメディだった



想えば   大陸にキョンシーなんて存在が生まれたのは


あの地が   たくさんの戦争や殺戮にまみれた地だからで


キョンシーのような怨霊が   ウヨウヨしているんだろう


そしてキョンシーの話は   この日本版でも元ネタの中国映画にしても


怨霊となった想念を   どう自分の力にするか   


いかに自分の力にして   相手と戦わせるか


成仏できない怨霊を操って自分の力に変える


面白おかしく観ていた映画は


ただそれだけの話だったんだなと


改めて想った




幽霊や悪霊といった話を   深夜ドラマに立て続けに流すテレ東w


成仏できない怨霊を操って自分の力に変える手法を


何気に二度も見せるテレ東w


勇者ヨシヒコのロケ地は庄内のようだ 


やっぱり東北から始まるのかな


内容はキョンシーの方が全然面白いのに


私も   視聴者の想念も   勇者ヨシヒコの方に圧倒的に集まっていて


同じ幽霊モノ   ファンタジーモノでも


視聴者の心を掴むのは   内容の面白さ  出演者の人気


そんな今までの手法が通じなくなっていて


私たちはもっと広く   深い何かを知りたがっている


深く沈んでいる記憶   想いを   掬い上げるようなイメージを


求めているのかもしれない






勇者たち

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