2014年8月21日木曜日
日比谷公園探訪記 1
日比谷に用事があって
また日比谷公園に行ってきた
用事が先なのか
日比谷公園にまた行きたかったのか
今想うとただ公園に行きたかっただけの気もする
用事はしょぼかったから
キャンセルしてもよかった
東京には鉄道や道路 高層ビル群で
鉄の結界が張られているけれども
その鉄の結界を張るために
その地の自然を抑えなければならない
それが木の結界
東京には巨木による 木の結界があるという
さいたまのような東京近郊は
大樹をばっさばっさ切っているのに
切らせているのに
東京や都心には見上げるような巨木がいくつもある
それが東京の地の気を抑える
木の結界になっているという
驚いたことに
日本全国の町で巨木が一番多いのは
東京だという
コンクリートジャングルに紛れて
しっかりと巨木を維持していたのは
東京の 江戸の結界を護るため
私も東京に来るまで
建物並みの高さがある大木というのは
ほとんど見たことがなかった
東京のはずれにあるような住宅街でも
驚くほど大きな大木が切らずに生えている
東京の巨木を調べてみると
日比谷公園にもあることがわかった
日比谷公園 イチョウが見守る
イチョウの起源は恐竜が繁栄した時代にまでさかのぼる。地球環境の変化で恐竜やほかの植物が滅びても子孫を残してきた「生きた化石」だ。
日比谷公園に樹齢400年とも、500年ともいわれる巨木がある。開園前の道路拡張で伐採されそうになったとき、公園設計者の本多静六が当時の東京市参事会議長・星亨に移植を訴え出た。「自分の首を賭けても根付かせてみせる」。困難な作業を前に、こんなたんかを切ったという逸話から「首賭けイチョウ」と呼ばれる。
公園が沖縄返還闘争の会場となった1971年に火炎瓶の炎を浴びて瀕死(ひんし)の黒焦げになったが、黄金色の葉をたっぷり揺らせるまで回復した。健康運の御利益があるパワースポットにもなっている。
現代の権力機構・夢殿が日比谷公園を中心に囲むように立っている 公園の巨木を中心に囲んでいるのかな
首かけイチョウ/風エネルギーのパワースポット
現在この”イチョウの木”は、日比谷公園内にあるのですが、もともとは日比谷見付(現在の日比谷交差点) に存在していました。1901年(明治34年)に道路の拡張工事計画が示されたとともに、この”イチョウの木” は伐採される予定だったそうです。
おそらくは、もともとイチョウの木があった場所が昔は”龍穴”ポイントとなっていたのではないでしょうか。 エネルギーに満ちた場で育ったため、”イチョウの木”自体に多くの自然エネルギーが宿った存在となったと 考えています。
首賭けイチョウ・・・
こういう伝承は無駄に残ったりしないです
首=コード
この木がなにかのコードとなっている
設計者が「首を賭けても」保存したかったのは
この木が江戸の結界の重要ポイントに生えていたからでは?
というわけで
前回行ったときに心字池に行けなかったのと
この首賭けイチョウが気になっていたので
日比谷に行く用事のついでに
再度日比谷公園に行ってまいりましたん
心字池は日比谷交差点から
日比谷公園に入った入口にある
池の向かいにあるのが江戸城城郭跡
池はお濠の跡
パワースポットの日比谷交差点から続くお濠跡を残したのは
龍穴を護るためかな?
というより日比谷交差点の隣にある心字池が
龍穴でもあるのでは
天気がよくて気温も高かった
見晴らしもよかったのにカメラで写すとなぜかぼやける
湿度のせい?お盆のせい?
ずっとこんな感じ
遠くに東電の赤いタワーがみえる
池の水が随分濁ってる
雷でも落ちたのか
こういう枯れ木や切り株があると気になる
お濠の上に登ってみた
心字池を上から眺める
お濠を降りてその裏を歩いていると
こんな銅像が
フィリピン独立運動の英雄 ホセ・リサール
フィリピンの独立史①・・「ホセ・リサールとおせいさん」の恋物語
日本と縁が深いよう
ちょっとわかりづらいけど
お濠の裏に銅像が隠れるように立っていて
写っていないけど以前記事にした
バイキングの石碑がある所から写している
心字池の端を
銅像と石碑が対になって立っている
この池を封印?しているのか
護るように石碑と銅像が建てられている
このポイントはかなり重要地点なのかも
元日比谷入り江だもんね
東京都区内の巨樹リスト
神田川
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2014/02/708.html
日比谷のオカルト記事のとき
日比谷公会堂の画像を上げて
東京の緑について書いていた
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