2012年6月15日金曜日

葬り去ることはもうできない

東電OL事件で殺害された女性は、管理職であり地熱発電についての論文で経済ナントカ賞を受賞するほど優秀な存在だった。そんな女性がなぜ、閑職に追いやられたとしても経済的には何不自由ない身分でなぜ、売春行為に、しかもひたすら自傷行為に等しい危険な行為に身を落としたのだろうか。

学会で高い評価を得る優秀な彼女の存在は、反原発因子として社外に除外したとしても、それはかえって煽動的な立場に擁される可能性もあり、社内で閑職に追いやるのが一番だったのかもしれない。

そして一般的な女性の幸せ、家庭を持って経済的にも恵まれた環境で暮らすという選択肢も彼女にはあったはずだ。けれど、父親譲りの知性と、父親がその立場のために会社に殺されたという事実は、彼女を保身に走らせるよりも、会社への復讐の道へ走らせたような気がする。彼女は社内でも性接待や売春行為をしていたという噂もあるし、何より彼女を東電に入社させ、後に会長となった上司との関係が疑わしくもある。職場も家庭でも彼女の売春行為は知られ、路上で身を売った相手にも自分が東電の人間であることを隠すことはなかった。会社は彼女をクビにすることもできたはずだが、すでに東電の深い闇に落ちた彼女は、あまりにも多くのことを知りすぎていて、会社の目の届かないところへ追放するのはかえって危険だったのかもしれない。

一方で彼女の会社に対する復讐は、彼女の存在が会社にとって汚名となることだったのかもしれない。
あの巨大な組織に正攻法で攻めても無駄なことはわかっている。それなら、会社の弱みを握って、会社の汚点となることで、会社に対する復讐に身を賭したのではないだろうか。彼女が殺害された後、直属の上司が翌年には異例の出世、常務取締役に就任するという、事件の当事者を部下として抱えていた管理者責任が問われるどころか、むしろまるで手柄のように出世するとは、彼女の存在が会社にとっていかに目障りだったかわかる。

自虐的な売春行為を極限状態まで続けた彼女は、殺害されることによって怨霊となった。私はそれこそが彼女の目的だったような気がする。それを彼女が望んでいたとは到底想えないけれども、無意識に、彼女と同じく怨霊となった父親の導きでもあったかもしれない。彼女の行為が復讐だったからこそ、父親に代わる復讐でもあったからこそ、母親もそれを止めることはできなかったのか。それとも母親は、家族を生贄として会社に捧げたのか。元社長の嫁が元会長の娘に象徴されるように(年齢差35才!)あの会社には閨閥があり、親子共々入社したこの家族も何らかの閨閥の一員だったかもしれなく、母親にとっても東電は生命線となっていたのかもしれない。家族が亡くなって数十年、東電の威光は揺るぎないものだった。

そして、311の原発の事故は、そんな怨霊さんたちの復讐によって起こされた。地球のエネルギーに力を借りて、怨霊となった父子、そして原発のメンテナンスのために動員され、費やされた多くの魂。それらの見えざる力が、原発のエネルギーに寄りかかって安穏と暮らしていた人間に、そのエネルギーの正体を底知れぬ恐れとともに知らしめた。

東電の元社長と彼女の元上司は、東電を後にした後も関連会社の取締役となって、相変わらずの権勢を奮っている。庶民の怒りに火に油を注ぐ行為は、私たちの怒りがまだ見えない世界において足りないことを示している。この社会を覆すに必要な、それに等しいエネルギーがまだ足りていない。ある方向に行き過ぎたエネルギーが反転するためには、極限まで到達せねばならない。


彼女の母親について調べていたら、奇しくも私と同じことを考えている人を発見した。
皆考えることは一緒だなーこれからの時代はもう何も隠すことはできないねー
311が起きたとき、彼女が生きていれば、53歳。52歳で亡くなった父親とわずか1歳違いだった。

東電OL殺人事件(工事中

0 コメント:

コメントを投稿