2013年7月31日水曜日

雷門

隅田川


現在「隅田川」と呼ばれている川は、元々は入間川の下流部であり、1683年(貞享3年)また一説によれば寛永年間(1622年-1643年)までは下総国と武蔵国の国境であった。1629年(寛永6年)の荒川瀬替えにより荒川の本流となったが、洪水を防ぐ為に明治末期から昭和初期にかけて岩淵水門から河口までの荒川放水路が建設され、こちらが現在「荒川」と呼ばれている。1965年3月24日に出された政令によって荒川放水路が荒川の本流となり、分岐点である岩淵水門より下流は俗称であった「隅田川」に改称された。荒川に面せず、隅田川に面している荒川区が「荒川」の名を持つのは、こうした事情による。


隅田川は入間川の下流だった
この辺りについて以前書いたはず

形に宿る想念
http://kokuyouseki.blogspot.com/2012/09/240.html


前半は夢で見たナンの話
ナンは北インドの食べ物
この間洪水があったのはインド北部
やっぱりあの夢は関係あったのかな

ヒマラヤの氷河が溶けて流れてきて北部の街を流してしまった
雲の形をしたナンに書かれていた梵字のような墨文字は
仏教を意味するとしたら
インドの洪水はこの地で生まれた仏教の想念を
洗い流すものだったのかもしれない


浅草寺の観音像は
入間川から隅田川に流れてきたもの

今年の3月頃から入間川のある
西武線の結界が怪しくなってきた

観音が流れ着いた隅田川で
厄祓いの花火大会が初めて中止になったのは
埼玉の秩父から東京湾にかけて
川の結界が機能しなくなるサインなのかもしれない

杞憂だといいけれど
都市化という結界のために無理して付け替えていた河川事業が
江戸時代に張られた川の結界が
もう機能しなくなるということだとしたら
本格的な水害が東京埼玉に起きても不思議じゃない気がする

そして気になるのが
この記事を書いたきっかけが
上野の夢だったこと


ナンの夢といい浅草寺のある上野浅草といい
キーになっているのは仏教で
インド北部が洪水に襲われたように
浅草寺が隅田川と縁が深いように
仏教が水で洗い流されるイメージが
どうしても消えない



夢で見た川島町も気になる
この辺地盤が緩いんじゃないだろうか
地図でみると田んぼが多いせいかな
小さな川が無数にあって
水場が多いような気がする・・・


花火大会が中止になって
今年の夏は怨霊を祓えないでいる
東京は守りのないまま夏を迎える



福島の花火大会も中止になった

福島のネズミの死と
東京のネズミーランド

福島のハワイアンセンターと
東京のネズミーランド


なんとなく福島と東京は
運気が連動しているような

フクシマの原発事故で
放射能の雲は東京にやってきた

被災したのは東北なのに
液状化したり放射能が飛散したり
計画停電が起きたり
東京もまるで被災したかのような有り様だった

福島と東京はリンクさせられているような気がする

もともとフクシマの原発は
東京へ供給するものだしね


福島の被災者たちが
なぜか埼玉に避難したり


福島と東京千葉埼玉には
何か古代の因縁があるのかもしれない









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