2014年4月12日土曜日

コーンヘッド 3

なぜアフリカが侵略されアフリカ人が奴隷にさせられたんですか?
大量の奴隷を貿易出来たのはアフリカ人王国の協力があったからです
黒人同士で奴隷狩りをしていることに目をつけ、これを利用しはじめます
西アフリカのダホメ王国やベニン王国等々、奴隷を売ってくれるアフリカ人王国から買い取るようになりました
それらの王国はヨーロッパから手に入れた武器を使って、奴隷を調達するための奴隷狩りを多く行いました
そのため、奴隷を調達していたのは現地のアフリカ人です


アフリカの一部の地方では、部族同士が争って勝ったら、負けた方の部族を奴隷のようにするという風習があったから、その風習を利用した。(最初は)
アメリカ先住民は、そういう風習は無いし、それ以前に戦わずに逃げてばかりだったから奴隷にはできなかった。




現地の協力がなければ成り立たない奴隷貿易

ダホメ王国やベニン王国は
現在のベナンがある辺りにあった西アフリカの王国で
奴隷海岸のある場所


どの部族のどんな人たちが
奴隷になったのかわからないけど
同じ現地黒人部族でも
マサイ族のような八頭身狭顔部族と  褐色コーンヘッド族では
人種の由来が違うはず





黒と白
http://kokuyouseki.blogspot.com/2013/06/506.html


こんな夢をみたせいで
アフリカ系アメリカ人に対する疑念が


「黒人」と一括りにしてはいけない
その中に黒幕が隠れているから

奴隷の中に操縦者がいるから



アトランティスの末裔がいる地域で
奴隷貿易が盛んに行われたのと
アメリカの黒人奴隷の中に
褐色系コーンヘッド族も多くみられるのは
よくわからない





大虐殺関与の 「真実見よ」とルワンダ、仏大使の式典出席拒否
■「ジェノサイドの共犯」と非難

 フランスは大虐殺が起きた当時、フツ人主導の民族主義政権と同盟関係にあった。

 カガメ大統領は、仏週刊誌ジュンヌ・アフリック(Jeune Afrique)とのインタビューで、「ジェノサイドの政治的な準備にベルギーとフランスが直接的な役割を果たした」と非難。さらに、フランス軍の兵士たちが当時、フツ人が大多数を占めていたルワンダ軍の訓練を支援していた上、殺人者らの逃亡を助けたとして、ジェノサイドの共犯者であり「関係者」だと語った

 フランスはこれまでルワンダ側の主張を繰り返し否定し、当時のフランス軍の部隊は民間人の保護に努めていたと強調している。




太陽と火山の噴火とパンスペルミアのハーモニーが人間ひとりひとりの生と死を決定していると気づいた日
また、西アフリカと企業や政府レベルで人的交流のある国でも「その国へエボラが流入する危険性」を警戒しているようです。特に元領主国で、今でも企業レベルで交流の多いフランスは警戒感を強めているようです。



アフリカとフランスの繋がりが表面化している
ヨーロッパの国々は今でも植民地利権を手放していない

第二次大戦で各国が独立して植民地時代が終わったけれども
日本が太平洋戦争で全ての利権を手放したのと
一緒に考えてはいけない




ebola.jpg

アフリカの、特に首都から離れた地域の情報は、世界で最も伝わりにくいもののひとつで、実際の状況は多分、誰にもわかっていないのだと思いますが、この広い地域で、「接触する可能性が完全にない人たち同士」が患者となっているという事実は、「エボラ・ウイルスも空からやってきた」ことを伺わせます。


大ざっぱだけれども
エボラ熱の感染地域は  西アフリカ
アトランティス人の末裔の痕跡がある地域
ドゴン族が移動した地域



「接触する可能性が完全にない人たち同士」が
患者になっているということは
遺伝的なものと考えられないだろうか?


私たちは本当にみんな同じDNAをしているのだろうか
同じ体をしているのだろうか?
爬虫類人といわれる人たちと
首の骨格が違うように
私たちは本当に同じ人類なのだろうか?

コーンヘッドのDNAは
完全に現生人類と同化したのだろうか?



このニュースを聞いたときそんなことを想った



クラウドアトランティス 6 末裔
http://kokuyouseki.blogspot.com/2014/03/735.html


エボラ出血熱に感染しているのがドゴン族のような
特定の部族だったら
そうニュースになるはず
だからドゴン族とは限らないし
多分違うでしょう


ただこの地域はアトランティス大陸から一番近く
末裔たちがたくさんいても不思議ではない地域であり

奴隷貿易が盛んに行われた地域でもある




奴 隷 貿 易
◎アフリカの黒人諸王国
・マリ帝国(Mali Empire 1240~1645)、
  現マリ共和国周辺領域で栄えたマンディンカ族の王国
・ソンガイ帝国(Songhay、1464~1590)、
  ニジェール川湾曲部を中心に西スーダン全域を支配
・アシャンティ王国(Ashanti Empire 1670~1902)、
  ガーナ内陸部にあった王国
・ベニン王国(Benin Empire 12世紀~1897)、
  ナイジェリア南部の海岸地帯にあった王国 マリ美術博物館
・コンゴ王国(Kingdom of Kongo 1400~1914)、中部アフリカ太西洋岸にあった王国
・カネム帝国(Kanem Empire 700~1376)、チャド及びリビア南部一帯を支配した王国
・ボルヌ帝国(1396~1893)、ニジェール東部一帯を支配した王国



西洋から暗黒大陸と言われていた時代のアフリカ
実際は王国が築かれるほど富が集まっていたとか

ほとんど西アフリカの国々

王国建設はアトランティスの末裔たちの
力だろうか



大航海時代のアフリカの黒人諸王国は相互に部族闘争を繰り返しており、奴隷狩りで得た他部族の黒人を売却する形でポルトガルとの通商に対応。ポルトガル人はこの購入奴隷を西インド諸島に運び、カリブ海全域で展開しつつあった砂糖生産のためのプランテーションに必要な労働力として売却しました。

奴隷を集めて、ヨーロッパの業者に売ったのは、現地の権力者(つまりは黒人)やアラブ人商人で、「奴隷狩り」から「奴隷貿易」への転換(シフト)は、1450年代に起こっているとされています。1450年代に入ると、セネガル、ベナンなどのギニア湾岸、コンゴなどの地元勢力が、戦争捕虜や現地の制度下にある奴隷をポルトガル商人に売却するようになりました。

そして時代が下るにつれて、ワイダ、ダホメ、セネガル、ガンビアなど西アフリカ地域のアフリカ人王国は、奴隷貿易で潤うようになりました。売られた人々は、もともと奴隷、戦争捕虜、属国からの貢物となった人々、債務奴隷、犯罪者などでしたが、コンゴなどでは、ヨーロッパ人に売却する奴隷狩りを目的とする遠征も頻繁に行われました。「奴隷貿易はアフリカ人が始めたことではなく、アフリカ人もその一翼を担いましたが、アフリカ人が売り込んだのが先か、ポルトガル人が買いに行ったのが先か」ははっきりしていません。



奴隷という概念は
人類が文明化する前の
未開の地でありがちな概念と考える向きもあるけれど

インディアンとか縄文人とか
スペイン征服前の南米大陸とか(多分)
世界中の文明化されていない土地で
奴隷が生れなかった地域はたくさんある

先住民文化では奴隷という概念はほとんどないと想う



私はむしろアフリカのこの奴隷を当然と想う感覚は

「彼らの視点からは、私たち人間への一般的な感情はアリ同様ですので、彼らが私たちに共感したり、あるいは、私たちとコミュニケーションを試みようとする可能性はありません」


という最近世界の権力機構の中枢部から暴露された
「コーンヘッドな彼ら」の感覚に近いと想われる


それがいつの頃からか
アフリカ全土を覆うようになった




西アフリカはかなりヨーロッパとのコネクションが強い地域
ヨーロッパが宗主国だったというのもあるけど
植民地時代以前にアトランティスの血が
この地域やギリシャ・エジプト・バビロニアと
散らばっていったせいもあるかもしれない


エボラ出血熱のうぃきを読んでいると
西アフリカはヨーロッパによって
ウイルス感染の実験台にされているイメージがした
確かエイズもそうやってアフリカから広まった

空気感染しないのにフランスが素早く反応して見せたのは
なにかのポーズのような








ルワンダ大虐殺から20年-「人道」が持ちがちな危険性について
4月7日、1994年に約80万人の犠牲者を出したルワンダ大虐殺から、20年の節目を迎えました。・・・近代以降「声なき者」と扱われがちだったアフリカが、まさに「声をあげ始めつつある」ことを象徴します。






















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