2015年3月1日日曜日

カンダーリ



退行睡眠の動画をリンクしようとしたら
別の動画を見つけてしまった
こうやって死者からの情報が次々と舞い込んでくる


ユタ(1/3)虫の知らせ
ユタ(2/3)
ユタ(3/3)



一本目は音声がないのが惜しい
蟲師の元ネタ発見


これは宮古島のユタ  根間つる子さんのお話



この方が覚醒した時の話が有名で
沖縄ではカンダーリ(神憑り)という


この人のカンダーリの話を私は20年くらい前に
テレビで観たことがある
この人は沖縄の代表的なユタみたいね


根間さんがまだ40くらいだったはず
黒髪が美しいとてもきれいな人でした
この人の畳の部屋も見覚えがある


「三日三晩島中を飲まず食わず裸足で歩き回った」
と記憶してたのが三日じゃなくて3カ月だった・・・  (-_-;)
長い。。。1年くらい症状は続いたという



私が20年前に根間さんが霊視しているのを観たときは
根間さんがカンダーリ状態になって憑依して
お告げが終わった後我に返って
涙を拭いていたのを覚えています


今の動画を観るとタダの人生相談になっちゃってる・・・
あちゃ~~すんごい胡散臭いw

コメントにもユタは歌を歌わないとあるし
沖縄商法ですやん

あんなに凄い人だったのに非常に残念です    (><)
銭を取りすぎたのかしら



私は巫女って神社の巫女さんのイメージのせいで
十代二十代だと想ってたんですが
久高島の巫女の儀式は30代から40代の
中年女性なんですね
年齢層高め


久高島は巫女を生贄にしていた時代があったそうですが
もともと巫女生産地の風習があったんですね
ちょっと儀式の声が恐いです
集団洗脳みたい


巫女は中年女性っていう
巫女が減っているのも
私たちが巫女というものを
そもそもわかっていない可能性が



沖縄のユタの事例~巫女の伝統には村落共同体が必要?~
現代社会で巫女が減っていると言われているが、精神疾患の苦しさがきっかけにせよ生まれながらに能力が備わってる人にせよ、村落共同体の中で自然信仰、精霊信仰を重んじ、究極には自我の無い精神状態(悟りの境地)にたどり着ける環境や安心基盤のような風土の中で巫女が生まれるのかもしれないと感じました。



根間さんも一度精神病院に入っている
周囲の理解や協力がないと
巫女になるべき人も巫女になれない

巫女になるか病人で終わるか
精神の安定基盤があるかどうかが分かれ目




根間さんのカンダーリが終わったのは
枯れ井戸を救ってからなんですが
枯れ井戸の死者の声が根間さんをユタにした


動画では「ここが御嶽だった」とあるのは
御嶽とはそもそも墓地ではない墓地のことなのかな


だとしたら古代に御嶽で巫女が生贄になっていたのも
御嶽とはつまりそういう場所だから・・・



根間さんがユタになるトリガーになったのは
離婚問題のせいで
たとえば中年の危機とか更年期障害とか
男女問題とかで精神がグラグラと不安定になった時に
魔が入り込む  個人の結界が崩れた感じになるのね





動画のコメントより


mocomoco20219
カンダーリの状態は幻覚や幻聴、時にはおかしな事を口走ることもあるので 確かに精神病患者と間違えられてもおかしくないとは思いますが、 沖縄では病院に通っても原因がわからないとなれば「カンダーリ」可能性大。 でも病院へ行く前に気づく方がほとんどです。 (もちろん本当に病気の場合もあります・・・・) しかしカンダーリとわかったとしても最初はどうしたら良いかわからない状態が続き、 大変苦しい思いをされているようです。 ユタになる人は自分でなりたくてなっているわけではないのです。 逃げられない事を悟り心から受け入れ修業を積んで初めてユタさんになれるのです。 修業期間も長く大変のようで、たくさんの事を覚えたりと勉強の日々が続きます。 一番大事な事は家族の理解です。妻や夫がいきなりユタになるのですから お互いのサポートが必要です。 でも中には受け入れられずに、苦しい思いのまま人生を歩んでいる人も少なくありません。 実は「ユタ」になるという事は逃げる事を許されない、すごくつらい立場の方達なのです。 ※中にはユタを装う詐欺がいるので気をつけて下さいね。



GroundZeroHiroshima
沖縄のユタさん素敵ですね!参照・・「死者の祟り」が怖いのは、単なる恐怖心だけでなく、その背後には、幸運にも生き延びた者だけが幸せだと己惚れるな、上手に立ち回って成功した人間だけがこの世を支配できるわけではない、私たちはつねに思いをとげず死んだ人たちの声に謙虚に耳を傾けねばならない、とする根強い倫理観が潜んでいた(p.p.130-164)    (「死人に口あり」池上良正 『異界談義』 国立歴史民族博物館編) 

















3 コメント:

現在所謂中年期の女性なのですが..。
2012年の冬至の3日前だったか、強烈な厄を押し付けられる体験をし、あのままいったら精神科のお世話になっていたかもしれないのですが..。
色々な助けがあり、その助けのひとつが、沖縄旅行で何となく訪れた斎場御嶽でした。
あそこで、心から「助けて!」を発しなければどうなっていたか..(ー ー)
木や岩といった森の精霊に助けてもらえるのも、ある種の能力なのかな、と気付きました。

「やった事は返る..」ってあるじゃないですか。
あれって、やった事がやった奴に返るイメージだったんですが..。
自分に返ってきているとイメージするほうが、むしろ適切なのかな、と想いました。
 
自然界の精霊は助けを求める者には誰でも力を貸してくれると想います。それこそ結界を張ろうとする者に対しても。
むしろ斎場御嶽で感じるものがあったならば、助けてくれたのはそこに残留している巫女の想念だったかもしれないですね。
 
コメントありがとうございます。
残留している巫女の想念..なるほど。
あの時は一種の軽いトランス状態で、太古は人間があんなふうに自然と繋がっていたのかなぁ、と感じました。
自分に戻ったような。
御嶽を後にすると、憑き物が取れていました。
その数ヶ月後、お礼にまた訪れる機会があったのですが、その時はまぁ普通でした。
あの1年半くらいの間は、人々にも助けてもらったのですが、あの場所は桁違いでした。
ユタなどの巫病程ではなくても、何かがグラグラと崩れてしまう時、その崩れ落ちた隙間から、今まで見えなかったものが見えるような事が、あるのかもしれません。
幼少期、思春期、中年期、老年期..などはそうしたタイミングなのかもしれません。
 

コメントを投稿