2012年6月29日金曜日

グスコーブドリの予言 後編

富士山1

ふじさん


「神の計らいか?」悪天候の中、夏至に伊勢・朝熊山山頂から富士山現る


富士山の山頂から   真っ赤なマグマが吹き出し


上空に   煙がもくもくと上がっているように見える


すわ   富士山噴火の前兆か!?


と想うよりも


自分は   富士山噴火するかも!?っていう


集合意識によって起こされた


現象のような気がする


311の巨大地震によって


地底はかなり圧迫されているから


M9以上の巨大地震後は   活火山が噴火するらしいけどね



富士山が   藤の山なら


藤の力がなくなったとき


富士山のご威光も   力も


大分減るような気がする


富士山の噴火のイメージは   潜在意識の世界では


富士山によって集められたエネルギーが


集合意識が    バラバラになることがわかっていて


それが


富士山が爆発するような   イメージや恐れとして


現れているのかも   




山に変化があるとしたら


山に集められていた集合意識がバラバラになるなら


巨大な爆発を起こすというより


なんとなくだけど


地底の圧力が   山の裾野に掛かって


脇腹から噴火し   崩れ落ちるようにして


その美しい姿形を   


自ら葬り去るような気がする


もう派手に爆発を起こすほどの


力があるとは想えない


力があるのは   他の山


でも私は予言者でも能力者でもなんでもないので


ただの希望   望まないことは考えたくないだけ





火山の爆発が人々を救うと


東北の地で物語に描かれたのは


富士山の爆発=藤(富士)の封印が解かれる  


ことを   暗示しているのか


そしてそのために   最後に   イーハトーヴの主人公が犠牲になるのは


私には   東北の震災で


犠牲になった魂を


偲ばせる   (/_;。)




火山を人工的に爆発させるのも


なんだか人工地震を暗示しているよう


東北の震災は   やはりそういうことか


そしてもし火山が本当に噴火するとしたら


やはりそれも・・・   


既にそういうことが   一世紀近く前に   夢想され   伝達され


作品として残っているくらいだから


現実の世界で   転写されても


何も不思議なことはない




物語では   冷害で苦しむ地を


火山の爆発によって   温めようとする


それはそのまま


東北の厳しい寒さが   山の封印によって施されているのを


示しているようでならない


賢治は   自分たちの終わりを   見ていたの




そういえば   私にとって   賢治の作品は


村上春樹の作品と同じくらい


難解で   曖昧で   訳が分からない


『銀河鉄道の夜』に挫折した経験があって


ファンタジーとはそういうものと言われれば


私の想像力が足りないんでしょうね   


でもこの作品で   ファンタジー嫌いになったのに


そういえば   同じ時期に読んだ   ミヒャエル・エンデの『モモ』は


面白くて面白くて   その本は私にとって   長い間大事な宝物だった




『グスコーブドリ~』でも


火山の噴火で   冷害の地を温めるなんて


そんなのおかしいって   子供でもわかる


火山が噴火したら   火山灰で太陽が隠れ


ますます土地は冷えるのに


夢殿の作品は   内容よりも   情報伝達のため   


象徴的な意味しかない


意味不明   巫女のお告げのようなもの


それにしてもこの時期に


火山の人工噴火の話を   アニメとはいえ


映画化するとは・・・     (-_-;)






これは全く個人的な想いなんだけど


東北の復興が進まないのも   腹が立つし


一方で   東北の復興を


自分たちの活動の新たなチャンスにしたりしているのも


なんだかすごく   忌々しく想う


あそこが流れた意味というのは


また復興させるためではなく


新しい何かを築き上げるため


東北の復興が進まないのは   もしかしたら


私たちの意識が   その新しい共同体に


移ることを   待っているのかもしれない


東北を復興させようと想っている間は


東北は復興しない


東北には   新しい意識によって


新しい何かが   築き上げられる


私たちがそのことに気づいたとき


あの地のエネルギーを   ようやく活かすことが   使うことが出来る


あの地にあったものを   築くことが出来る


その時初めて   東北は息を吹き返す


東北の復興が遅れているのは


私たちの意識が   次の段階に成熟するのを


時が満つるのを


ただ待っているのかもしれない

2012年6月28日木曜日

グスコーブドリの予言  前編

宇宙猫を見た夢を   今年の1月頃   ちょっと書いていた


あかね色をした猫で   まるでサングラスのような


水色の大きな目をしていたのが印象的だったけど


その記事で   まるでロボットのようと書いたのは


その猫が   どうやら四足ではなかったようなのだ


まさか二本足で立っているとは想わず


なんだか上半身だけ夢の中で見た覚えがあるんだけど


よく考えたら   四足の状態で


上半身が見えるわけないんだよね




今   『グスコーブドリの伝記』のアニメが   映画化されているけど


あの映画では   猫が人間のように


二本足で歩いて   服を着ている


アニメの絵が素晴らしいから   私は新聞に載ったその広告を


ずっと見ていたんだけど


四足の生き物が二本足で歩く造形描写が


どうしてこんなに自然なんだろうと   こんなに絵になるんだろうと


不思議に想った


まるで見てきたかのように   以前はそうであったかのように


違和感がない


とくになで肩の猫から   服が落ちるでもなくw


パンツも   流行りのブカブカとしたゆるいファッションが


上半身に対して   全体として   逆三角形のスタイルが


すごく今時というか   人間よりも似合っているんだよね



『長靴をはいた猫』は   人間を猫にしただけど


『グスコーブドリの伝記』の猫は   猫が二本足で立った様子


そのまんまなんだよね




猫の立ち姿って   そんなに珍しくない


近所の猫ちゃんは   よくお腹の毛づくろいをするときに


お尻をついて座って   屈んで   自分の胸やお腹を舐めている


敵がいないときは   そんな余裕を見せるのかも   




グスコーブドリの伝記



『グスコーブドリの伝記』の宣伝にある   遠くに見える山   尖った青い山は


夢で見た   四国に現れた山を想い出す


映画のあらすじを読むと


火山の噴火で   人々を救う話らしい


そして右端に描かれた塔はなんだろう


映画ならではの脚色をしているようだ


ドバイの塔とか   アトランティスとか   そんな感じ?


なんで猫なんだろうwという疑問から


いろいろ調べてみると   『銀河鉄道の夜』のアニメ化のときに


山形出身の   登場人物を全部猫で描く漫画家が担当したことが   縁らしい


ちなみに   『銀河鉄道の夜』に描かれている巨大船舶の沈没は


タイタニック号をイメージしていて   この映画の音楽を担当した音楽家の祖父が


日本人でただ一人   当時のタイタニック号に乗船していたんだけど


この祖父は   明治期の鉄道官僚だった



作者の宮沢賢治は   若くして   結核で亡くなっている


宮沢賢治のファンタジーは   宮崎駿を想い出させる


あら   両方とも宮の家


宮崎駿は現代の宮沢賢治か


これは夢殿の作品のようだ







グスコーブドリの伝記wiki

2012年6月27日水曜日

リバイアサン

��杯予選に日本中が熱狂しているとき


日本の選手が  名門チームへ移籍が決まったとき


スペイン   ギリシャが   深刻な経済危機に陥っている



ヨーロッパで活躍する選手が増えて


��杯への注目は   ますます熱くなっているけど


想えば


日本人の選手がヨーロッパに進出し始めたのと


グローバル化が唱えられ


日本の経済が   砂の城が崩れるように


海外へと   資金が流出していったのは


時期を同じくしている


日本人の選手が   大リーグで本格的に活躍し始めたのも


日本が不況から抜けられなくなってから




まあ時代の流れと言ってしまえば    それまでだし


何の関係があるのかと言われれば


ただの想いこみというしかない





スポーツに注がれるエネルギーは凄まじい


ときには殺人さえも起こりかねないほど


人は熱狂する



けれど   勝っても負けても


カジノと同じように


そこに注がれるエネルギーは


胴元に入っていく


カジノで   パチンコで   賭け事で


どんなに勝利しても


胴元以上の利益は上がらないように



グローバル化というのは


磁場の影響を考えれば


気のあるところから   ないところへ


流れるだけ



スポーツに熱狂するエネルギーも


円が海外へ流れるように


国のエネルギーが   外へ流れていく



オリンピックが開催される国は


戦後   巨大化する祭典に伴って


経済発展が著しい国で   


それは   ギリシャから始まる


聖火ランナーの儀式が


まるで4年に一度


世界中の結界を張りなおすかのように


世界を一周して


経済成長で   たくさんのエネルギーが生まれている


開催国で   拝火教の印を付ける




オリンピックの開催国は


もれなく   世界恐慌の波に


グローバル化の嵐に


巻き込まれることになる





参加国の経済力政治力と


その国の大会での成績は比例していて


発展途上の国に


経済大国の   身体的優位性を


その経済力を背に


まざまざと見せつけるのは


心理的には   戦争をせずに勝利するようなもので


土着の民族性を蔑み   西洋崇拝を布教するには   


この上ないイベントでもある



オリンピックが人を惹きつけて止まないのは


勝利者には   金銀銅のメダルが与えられ


それはすなわち


与えられる鉱物には


熱狂的に競技に注がれたエネルギーを


一身に集めて   残したようなもので


選手が記録よりも   メダルにこだわるのは


それを手に入れることによって


膨大な力を得られることを


潜在的に   感じているのかもしれない



実際国によっては   メダル獲得者には


経済的な支援も用意されており


そんな目に見える支援がなくとも


大会で得た多くのエネルギーは


その人物の一生を   影に日向に


サポートするし


人によっては   そのエネルギーに


負けてしまう者もいる





想えば   日本中が   日本シリーズで沸き立っている頃は


国の中で   スポーツに費やされるエネルギーが


内需拡大と共に   日本中を


ぐるぐる回っていた



��リーグが出来たころも   バブルの時期と相まって


スポーツに注がれる関心は


彼らの年俸と比例する


経済が先か   スポーツが先か


鶏と卵かもしれない





グローバル化とは


もはや自力では立ち上がれない


立っていられない国が


他の国の肩に寄りかかっているのを


まるで肩を組んでいるように


見せるだけ



世界の終焉が先延ばしされたのと


グローバル化が始まったのは


同じ頃で


今   海から出て来た大きな怪物が   恐ろしい口を開けて


私たちを飲み込もうとしている絵が浮かんだ







リバイアサン


リバイアサン
大きな政府は時として巨大な怪獣を意味するリバイアサンと呼ばれます。その元になるのがトーマスホッブスが書いたリバイアサンという本です。」

wiki

2012年6月26日火曜日

フジヤマ

東へ


夢にこんな光景が現れた   


四国の山々は   もっと高さがあって   富士山のような


富士山よりも   もっともっと大きな


エベレスト級の   宇宙に届きそうな


大きな山が   香川県の辺りにあった


空から   瀬戸内海を   四国を   眺めていた


北上していたのだろうか




この光景の後   四国を   瀬戸内海沿いに


なぜか列車に乗って   移動したんだけどw


   

一瞬   まるで空でも飛んでいるように   瀬戸内海を


四国を   一望できる所に居たのは


なぜだろう






大きな地図で見る


でっかい山があった位置を調べてみると


香川県の   大川山と竜王山の辺りのような


その下の徳島県の方に   剣山があるけど


大川山と竜王山の辺りに


何か大きなものが   大きなエネルギーが


富士山が   藤の山なら


なにか藤の集合体のようなものが


あるような



香川県のあたりにあった山はこんな感じ



フジヤマ


青紫色の尖った山だった


そういえば   藤の色かもしれない


この地に何かあったのだろうか   何があるのか?


藤=富士=富の士=富族、か。




2012年6月25日月曜日

海を探す

夢で見た光景に注意を払う人はほとんどいない。日々の生活が忙しくて、夢の世界のことなど構ってられない人がほとんどだろう。私のようなオカルト好きな暇人でもない限りw

でももし時間があるなら、興味があるなら、夢で起きたことを心に留めておいてほしい。
起きた時にメモったり、通勤通学途中で反芻してみたり。
夢の意識は目覚めたときに終わりではないのだ。目が覚めても夢の世界の意識は続いている。ただ表に現れてこないだけ。

おかしな光景を見たな、と想ったら、それは貴重な情報だったりする。なんとなく印象的な夢だったら、それをネットで画像検索かけてみるといい。
ググっていると、だんだん夢を見た時の意識が蘇ってくる。
そこでまた夢の世界の細部が明らかになったりする。ネットは電波だから、それを夢の意識に対して扱うことによって、通すことによって、より鮮明にその世界を見ることができるのだ。

私がブログで書いているものは、夢を見た後数日経って書き始めたものもある。どうしても記事に値するものとは想えなかったからだ。そんな夢でも、PCで書き始めてついでに画像を探してみると、その夢のメッセージが見えてくる。ようやくそこで夢の意味がわかってくることも多い。

夢というのは必ず何らかの意味があるそうだ。だけどそれがただの夢だと想われるのは、ほとんどの夢が夢を見たときにはその意味がわからないせいらしい。

夢日記をつけている人はいると想うけど、その夢のイメージについてネットで探す人はあまりいないかもしれない。
夢は書いただけでは、もちろん書かないよりマシだけど、その夢が何を教えてようとしているかを知ることが大事だと想う。そしてそれは難しいように想えて、ネットというツールによって、どんどん簡単になっている。

起きているときも夢を見たときの意識は意識下で流れている。PCやネットを通してその夢の意味を探っているとき、再びその夢を見たときの意識に潜っている。今度はより意識を保って、明晰夢よりも客観的にその世界の象意にアクセスすることができる。

そうやって夢の意識を想い出しながら反芻していると、これはもしかして自分で創作しているのかも?と想うときもあるだろう。夢の続き、夢の細部を自分に都合のいいストーリーで作り上げていないか?と。

でも、そこに意図的なものがない限り、その創作すらも何かしらのインスピレーションに基づいていて、そのアイディアは夢と同じように潜在意識から降りてきたものだといえないか。
そこに余計な意図を挟まなければ、起きているときの創作も寝ているときの夢の中の出来事も、同じようにある意識がもたらす創作であることに変わりはないと想う。
優れた芸術家は優れた予言者でもあるように、創作物というのは夢ととても近い次元にあるものだと想う。

ただ、この作業は夢を見た自分を巫女とすると、起きた自分がその審神者になることでもある。なので、創作物としての出来よりも、いかに審神者に徹するかが大事なのは言うまでもない。

夢日記を書いただけでは勿体ない。ぜひその夢のイメージを検索してみてほしいと想う。ネットは潜在意識を表した蜘蛛の巣のようなものだから、きっと誰かの、何かの意識にアクセスしているし、それは夢の世界と同じことなのだ。

能力のある人は夢を見ただけでわかるんだろうな。でもない人はないなりに、方法はある。続けていくと段々夢で情報を貰えるようになる。夢日記に検索したイメージを載せてブログに書いてくれると嬉しい。
他人の夢の話は大抵退屈だけどwイメージが一緒にあればとても興味がそそられる。
夢は誰でも見ている。大事なのはその意味を知ること。知ろうとすること。
夢の世界を解明することはこの世界を解き明かすことでもあるから。




サンゴ

2012年6月24日日曜日

政(まつりごと)は祭りごと

夢の第2層に   大阪某知事が現れた


台風の日だったせいか   雨の中


車が行きかう路上の   反対側から


私の方に   満面の笑みを浮かべて   駆け寄って来て



「もう海には潜らないのですか?


最近海に潜ってないのですか?」




と声をかける


私がダイビングが好きだと   知っているようだ


知事とランチを取ることになった


昔の大阪出身の友人と   雰囲気が被っている



「議会では、主流派ではなく、傍流派が力を付けてきている


傍流派をなんとかしなければいけない」


と   食事をしながら喋っていた



そして私にも協力を求めたけど


私の態度が変わらないのを見て   すぐに消えてしまった


そして1層の夢に戻った





大阪知事のエネルギーが   夢の浅いところから


もう少し深いところで   選挙活動


エネルギーの支持集めをしているようだ


もしかしたら   もう彼の視点は


国政に移っていて   全国から


支持を集めようとしているのかもしれない


浅い夢だと気づかれるから


もう少し深めの所で   集めて回っているのかもしれない


私が昔   海に潜っていたから   何か勘違いをしたのかもしれない


友人に似ていたのは   しばらく会っていないせいかもしれない


その二つが一緒になって   夢の中で   形を成したのか





夢の第1層に戻ると   実家の部屋のでうたた寝している


そうだ   自分がどんな姿をしているか


鏡を見てみよう


そこに現れた鏡は   白い縁をした


ヴェルサイユ宮殿にもありそうな   ロマン風の額縁だったのは


その日テレビで   グーグルで世界遺産が見れるとかで


ヴェルサイユ宮殿の中が映し出されたせいかもしれない


そこに映った私の姿は


真黒く   黒光りした   濃い髪の毛を


ざんばら髪にしている   ヤマンバのようで


なんでこんなに髪の毛をバラバラにしているんだろう


髪の毛は   長くはないけど   すごい量だった


どことなく昔の友達に似ている   ずっと見ていると彼女になった


黒髪と美しい肌が印象的だった彼女





そしてまた   夢の中で   目を閉じると


不思議な白いホールのような   白い教会のようなところにいて 


牛小屋のように   干し草と    西部劇に出てくるようなバーの


入り口にある木の押し扉があって


その向こうには  祭壇に位置する場所に 


なぜかトランポリンがあった   誰かが飛んでいた


たくさんの人が立って   それを見上げていた


私も母と一緒に眺めていたけど


そこで私も   飛ぶことを勧められ


嫌だったので   トイレに行くと母に告げ


その場を離れた


トイレは   ガラスのような   プラスチックような


素材で出来ていて   ツルツルとして


各トイレには   扉が一つもなくて


なのに狭い所で   迷路のようになっていて


こりゃあ無理だと思ったら   目が覚めた




白い教会white church


ググってみたら、近いものがあった。特に右の写真を見たときは息をのんだ。
けれど、もう少し横に広い造りだったので、ドンピシャのものは見つからないようだ。

白い教会で探すと、観光名所のような豪華絢爛な教会ばかり出てくる。

でも私が夢で見たのは、白い漆喰の殺風景な建物だった。藁が敷いてあって牛が出てくる扉があって、なんとなくここはスペインだと思った。ああ、闘牛場の牛が登場してくる扉だったかもしれない。

牛がいなかったのに牛小屋だと思ったのは。母が一緒だったのは母が去年スペインに行ったせいかもしれない。


Cattle-shed-Stable-main.jpg

漆喰を使った牛舎。この天井を高くしたようなものが、上の教会のように見えた。


祭壇の位置にあったトランポリンは、確か男性が、白人男性が、とても真剣な顔して飛んでいた。

トランポリンの男性は、グリコのマークのように見えた。
それは十字架に掛けられているキリストと似ている。
十字架を見なかったのにあそこを教会だと思ったのはそのためだ。


グリコのマーク

トランポリン選手が飛んでいる姿に似ている。ユニフォームも。両手挙げてキリストのポーズにも見える。


私があそこで飛んでたらどうなったんだろ?
なんとなく祭壇のトランポリンは生贄のように想えたのだが・・・
このマークの赤がなんとなく血を連想させる。
トランポリンの側に行って白と赤のストライプだったのを覚えている。血と骨・・・


教会の真の力は、一見素朴な姿をした村の教会にある。
豪華な大聖堂や美しい教会には何も力がない。
それより村の、漆喰で出来ただけの一見牛小屋のような建物に、大きな力がある。
まるで小屋のような教会に集う村の人々に、牛小屋に入る牛の姿が重なる。それが潜在意識の世界で養分と見なされる。だから実際養分となる。


今スペインが危機らしい。ギリシャよりもヤバイとか。
教会に行かない信者からもエネルギーを集めようとしている気がする。
旅行に行っただけで営業がやってくるwなんかサッカーとかも入れ込み過ぎるのはあんまよくない気がする。




2012年6月22日金曜日

病院に行くと病気になるっておじいちゃんは言っていた

刺身を食べ過ぎて   苦しくなって横になっていたら


ひどい眠気に襲われて


うたた寝をしていたら   深い眠りに入っていた




病院の夢を見たのは   これで二回目


他愛もない夢だったけど


メモ代わりにちょっと書いてみる





現実で母親が医者を探していたので


それが夢にも出てきたらしい


私は母親を連れて   病院の廊下を歩きまわっていた


そこは病院というより   教会のような


洋館のような建物で


アーチ型をした天井がある       


来たこともないのに   東大病院にいるようだった


廊下を歩きまわるけど   医者も病室も見つからない


あ  奥の方にお医者さんの影が見える


でも忙しそうに動いている


母親と私は   あきらめて


広いロビーに出て   黒い革の椅子が


たくさん並んでいる所で   座っていた


そこでここは東大の大学病院だから


頭のいい人がいっぱいいて


株の話を   説明してくれるんじゃない?


と言って   なぜか私と母親は


暗い闇から現れた教授に   聞いてみた  (現実で401Kの話を眠る前にしていた)


教授は痩せた色白の   白髪の男性で   白衣を着ている


そう   北朝鮮に拘束され


今は佐渡にいる   ジェンキンスさんだった


彼は嬉しそうな顔をして   私と母親に微笑みかける


何を話したか覚えていないけど


株の話は   よくわからないみたいだった


釈然としなかった私たちは


いつの間にか   会議室のようなところにいて


株をどうしようかと想っていたら


コミュニティデザイナーという人たちが目の前の席に現れて 
��現実で眠る前にこの職業の人の記事を読んでいた)


でもそれは   すごく商売っ気のある証券マンのような男性二人と


就活しているようなスーツ姿の若い女性で


私たちの前でプレゼンを始めた


どうやら私たちは   大富豪のようで


寂れた村落の復興に   自分たちの資金を当てることを


考えたらしい


彼らの後ろの窓から   青い空が見えて


明るい光が差し込んでくる


私はぼんやりと聞きながら


でもそのプレゼンは   昔私が学んだ現代アートを


商売にしたようなもので


そんなことなら私が自分でできる!


と怒り出してしまった


その女性は   プレゼンしていた人たちは


気を悪くして   押し黙ってしまったので


私が取り成そうとしたら


泡のように消えてしまって


目が覚めた





目が覚めると   胸が苦しくて


動悸がしていた







最初に病院の夢を見たのは


数か月前


病室はとても狭く   歯医者の診察台のような


座るタイプの診察台


手術用の緑色のカバーをされて


横になっている人がいる


その患者を   3人の医者が


青い手術服を着て   取り囲んでいる


診察台にぴったりと   寄り添って


患者を見張っている


ずっとずっと   そうしている


患者は苦しんでうなだれているのに


横にもなれずに


診察台に座らされて   見張られている





東大病院アーチ


上は東大病院の建物。
このアーチ型の回廊が病院の中ににはいくつもあった。
行ったこともないし、多分見たこともないはずなんだけど・・・。

そういえば、この様式って明治時代に大量に建てられた洋風建築にみられるものだ。
こいういう形で日本人の集合意識が囲われて日本は欧米の養分になっていたのかな。

日本銀行とか国会議事堂とか、明治以後の国家機関が入っている歴史的な建造物は皆ヨーロッパの建築様式を取り入れている。

日本の近代化がそもそもドイツやイギリスの議会制度を参考にして進められたから、向こうの建築様式を形から取り入れることになったんだろうけど、同時にそれは根っこの部分が潜在意識的にずっと子分の分際でいることを認めているようなものだ。

この時から日本は、潜在意識的に中国の子分からヨーロッパの子分に鞍替えしたのか?国家機関の建造物への新たな建築様式の導入は、この時期行われた夢殿の再構築の反映でもあるかもしれない。

人がたくさん集い長時間過ごす建物は、一つの大きな集合意識を形成する。建造物の特性や様式は、その集合意識に付けられた印となる。



MrJenkins.jpg


東大の教授がなぜジェンキンスさん・・・。

そういえば、その日サンデル教授の白熱授業がTVでやっていたのを見かけた。
それで最高学府の教授として出てきたのかもしれない。
でもジェンキンスさんには何の覚えもない。

軍人だったジェンキンスさんはベトナム戦争に送られることが恐ろしくて酔った勢いで38度線を越えたらしい。そして人生の大半をかの国で拘束された。亡命したとはいえ、ある意味米国の被害者でもある。

そのジェンキンスさんに笑顔が戻り、名誉も回復された?でも白衣を着たジェンキンスさんは、東大病院の暗い闇の中にまだ居るような感じだった・・・


数か月前の夢では、病室で診察台に座っている患者は病院に閉じ込められている人のようだ。

病院に監禁されている人というのは、鍵で閉じ込められているのではなく、見張りが付いて弱らされて動けない状態になっていた。

3人の見張りは、現実でも閉じ込められている魂に関係のある人だと想われる。微動だにしないで張り付いていた。

東大病院では病室に行けなかったけれど、この夢の場所は東大病院だったのだろうか?


寝る前に過ごした出来事が夢と重なって、ほとんど雑夢ともいえる程度の夢だけれど、じゃあ何の意味もないのだろうか?

現実というのは映画のようなもので、私たちは映写機のようなものと考えたら、潜在意識にあるものが現実に映し出されている。


夢は映画の原作のようなもので、映画化されて初めて原作があることを知ったりするように、映画化されていない原作というのは星の数ほど存在する。

現実に起きた出来事を記憶の整理として夢を見ていると想っていたけれど、本当は逆なんじゃないだろうか。


現実に起きることというのは潜在意識にあるからこそ現実化されるとしたら、現実と関係した夢というのは、雑夢と済まされない何かがあるはず。

つまり、どんなつまらない平凡な夢も、それは数ある原作のうちの一つとして既に存在しており、現実に関連した夢を見るのは、その現実が生まれる何かしらの原作があることを教えてくれたのではないだろうか。

夢を見る前に母と医者の話をしたことも、サンデル教授をTVで見かけたことも、コミュニティデザイナーの記事を読んだことも、それらは潜在意識の世界で起きていることを伝えるためのファクター(要因)だったのかもしれない。

それは東大病院に関する何かを、ジェンキンスさんについての何かを、コミュニティデザインの本当の姿を伝えるために、ある意識の層が私の現実に滲み出たもので、その染み出たファクターが切っ掛けとなって、夢の意識の世界で重なり合う別の姿を、真実を知ることができる。

意識は幾つもの層になっていて各レイヤーはそれだけ見たら部分的なものしか表していない。
些細な詰まらないものでしかないかもしれない。

でもそれを建築図面のレイヤーだと考えてみたらどうだろうか?
各レイヤーだけ見たら、大したもののように見えないかもしれないけど、全部重ね合わせてみると、その建物のそのフロアの詳細な設計だったことがわかる。
全体像も浮かび上がってくる。


たくさん食べたお魚さんが見せてくれた夢だったのかもしれない (^ ^;)
アジとヒラメのお刺身。竜宮城にでも行ったのかなw