2015年4月18日土曜日

番外編:出雲と物部 4



>  妄想ですけど、現代における戦争→講和条約的な流れで、戦いの後に降伏したふりをして酒盛り中に、だまし討ちとか。

> 酒呑童子にしてもヤマタノオロチにしても、相手の酒に泥酔して、寝首をかかれているのが気にかかる。
> 親子説もあるみたいで、しかも絶世の美少年。
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E5%91%91%E7%AB%A5%E5%AD%90
> 酒盛りって手打ち=和解の儀式のイメージ
> そうとう以前に読んだのでうろ覚えですが、八つ墓村でも落ち武者を殺すのに、やはり祭りか何かにかこつけて酒盛りをして、油断させてだまし討ちにした記憶が。
> 落ち武者は常時身を守る武具や農具を身に付けているうえに、武芸に長けていたので。




そうでした!
そういえばそんなシーンがあった記憶が
八墓村では祭りの後に殺害してたはず

宴会みたいな絆を深めた後に殺害されたから
怨みもひとしおなのを覚えています

それに武者あいてに村人がしらふで敵うはずがない
ヤマタノオロチの成敗と同じエピソードですね


ようつべの予告編&メイキング動画で確認したら
祭りの最中にそのシーンがありました~

もともとが恐怖映画なんで
恐怖のためかもしれませんが
あの32人殺しのシーンで
吐き気がするほど気持ち悪くなってしまいました
・・・(><)

気が遠くなるこの感じ・・・
以前出雲のドキュメンタリーを観た時と
同じなんですよね。。。


この大量殺人事件は『八墓村』では
平家の祟りということになってますが
出雲の国が襲われた時と
かなり近いものがあるような気がする・・・

やっぱり岡山・・・なのは
ここが古代出雲の領域だったからでは
侵略はここから始まったのかな。。。


おえ。。。  (><)


鍾乳洞のシーンがたくさん出て来るのですが
鍾乳洞の中ってアナと雪の女王のような
氷の世界なんですね・・・   (゜o゜)


出雲は墓地のように静かだけど
岡山はまだ血生臭さがある
まだ生々しいんですよね


たとえていうなら
出雲はもう骨だけになっているけど
岡山はまだ死体がそこにある感じ


東征以後に蝦夷の俘囚が大量に連れられてきて
それを埋める岡(山)が出来たという・・・



ちなみにこちらの動画に落ち武者のシーンが
映画版では祭りの最中に酒に毒を盛られて
村人も恐怖で集団リンチみたいな


・・・(-_-;)フウ



この落ち武者殺害のシーンで
倒れている大将の手の甲を突き刺すシーンが
なぜか数秒映っているんですが

これって手の甲に釘を打たれて磔にされた
キリストのメタファーっぽくないですか?

惨殺のシーンで致命傷にもならない
手の甲に刃物を突き刺すシーンなんて
なんでわざわざ撮ったのかなーと
原作にあるのかな?

監督や関係者にカソリックの人がいるのかな?
とも想いますが

落ち武者の大将尼子義孝を
キリストに見立てて
カソリックの教義にある
メシアの復活  キリストの復活にかけたのかな


出雲は復活すると




『八墓村』はいろんなバージョンがありますけど
私は渥美清版が一番記憶に残ってる

やっぱ寅さんと被ってしまうのと(笑
最後に落ち武者が夕日をバックに集落を見下ろす
落ち武者たちの黒い影が記憶に焼き付いている


1977年の映画版が一番オカルト色が濃くて
祟りの群集心理を利用した殺人事件なのに
本当に落ち武者の祟りっぽく作っているんですよね






酒呑童子というのがいるのですね
縄文遺伝子はアルコールに強いといいますが
インディアンとかアボリジニとか先住民系は
アルコールに滅法弱いです

インディアンにアル中が多いのは耐性がないからとか
ポリネシア人もめちゃくちゃ弱いという意見がありますねー
曙や武蔵丸は桁外れに強かった気がするけど

酒に弱い先住民をアルコール漬けにして
だまし討ちするってすっごいありそう

薬物だったりアルコールだったりウイルスだったり
基本先住民は毒性に耐性がないから
伝染病や中毒の餌食になる人が多いです


ポリネシア人はアルコールに大変弱いので販売禁止だ。

戦に負けて酒を酌み交わしても
相手がコロッと酒に呑まれる姿を見たら
出来心が起きそう



日本は縄文時代から本当にコスモポリタンなので
縄文弥生の大雑把な分類は
ある程度は仕方ないにしても
それに縛られていると
古代の自由な空気は中々見えてこない





> 戸隠という地名が隠岐とごっちゃになって、楽天ツールバーでカミソン君を検索したら、神孫君と変換されました。
> 岐阜に隠れる・・・



そういえば隠岐も「隠」という字が
ああそっか
隠岐=岐阜に隠れるって読めますね!

どうしてこんなに島根と岐阜は共通点が多いんだろう


因幡の白兎の秘密が
岐阜に隠れているとか?

なんとなく白山信仰する半島由来の民族が
岐阜に隠れたような気もしないでもない



ふと閃いたのですが
岐阜に隠れているのは  隠しているのは
大国主かもしれませんね。。。


つまり
出雲の因縁は岐阜で起こる

伊勢白山に伸びるトーラスの軸
ファルコンが走る空の気流
そのトーラスを壊すのは
出雲かもしれない

名古屋の尾張から金沢の尾張まで



だから『八墓村』が「多治見」家で起こるのかなー


映画の中で犯人は落ち武者の大将
島根の尼子義孝の子孫ということになってました

八墓明神の祟りは出雲の落人の祟り
それが現代になって
「多治見」家を殺害したというのはストーリーは
出雲の祟りが尾張や多治見
愛知や岐阜を襲ってもおかしくない・・・
と想ったり



カミソンは天孫なのか?
出雲の神の孫となれば、大国主っぽいですが。。。





ちなみに島根の石見(いわみ)で想いだしましたが
北海道に岩見沢という場所がありますよね


人口8万人くらいの都市ですが
氷川冴子もIn Deepのブロガーさんも
ここ出身で

著名人が多いんですよねー
m.c.A・Tがここ出身だったとはw


何が言いたいかというと
岩見沢は石見の沢で
物部系譜の移住先かなと





そういえば
尾張の人がわざわざ半日かけて
出雲から子猫を引き取りに行ってたけど
それってすごく私には
出雲の霊力を物部が欲しがった過去を
彷彿とさせるのよね


そしてその子猫に阿波の系譜の家猫と
わざわざ同じ名前を付けるのは
なんかもうまさに歴史そのものって感じ


そうやって出雲の霊力が尾張の地で
阿波に献上されたのかなって


それが落ち武者の悲劇のストーリーに
多治見をキーにして
よく描かれているのかなと


出雲で捨てられて尾張に落ちのびた子猫は
ある意味落ち武者というか落ち猫w

それが尾張に逃げて助けて貰ったと想ったら。。。
なんて展開にならなければいいけれど
ていうか阿波の系譜から名前を貰った時点で
すでにもうなってるかも・・・
封印されている
名は呪いだから



古代の阿波と出雲の関係を考えたら
禁忌踏んでいるかもしれないですね



出雲から子猫を貰ったり
その子猫に阿波の系譜の猫の名を付けたり
そんなことする人まずいないですから




もしかして違う名前にしているかもしれないけど
訂正しない限り
集合意識はそう認識したまま



そして多分・・・
歴史というかドラマが再現されているのかも

出雲の猫を欲しがったのは
この人の家が尼子氏や出雲族を
多治見や尾張で滅ぼしたかもしれない
物部や後の平家の系譜なのかもしれない。。。

じゃなかったら出雲まででかけて猫を貰わないし
よその家の猫の名前を
自分の猫に付けたりしないと想うんだけど・・・


助けるふりしてやさしくして封印する

やさしく封印する


血筋に人質にされて封印されるなら
出雲で転生した方がマシ









食べろ食べろとか飲め飲めとか
想念を喰え飲めと言ってるのと同じですよね
東征っぽいですね





天皇陛下がパラオに東征に行きましたからね


物部が動き出すタイミングですね


上が下に
下が上に



平家も元気になりますね



だから蔵王が激おこなのかもしれませんね



眠気がひどかったり体調悪い人が多いみたいで
私も記事を書いている時に
嫌な感じがあった日があったのですが
翌朝眠気と脱力でぐったりした


夢の世界で想念をバクバク食い荒らして
侵攻が始まっているような。。。


春という時期のせいもありますが
それにしても今年はひどいような気がする
空気も例年より汚れている気がする



現実に多くの人にある現象が起きる前に
夢の世界でその原因となる現象が起きるもの

だからたくさんの人の不調や眠気は
夢の世界で東征が始まっていて
今はわからないけどもやがて現実でも
大勢の人に何かが起きるような気がする


どういう形で現象化するのかわからないけども





クジラ座礁の騒ぎがあって
ちょっと警戒心が高まったけれど
結局何も起こらなかった


だけどその頃から眠気がひどい
体調が悪いという声をたくさん聞くようになっている


それがただの気のせいじゃないだろうなと想うのは
私自身にも失神に近いような眠気が起きたから
あの皆既月食の時と同じ・・・




もし少しずつ侵攻が始まっているなら
私はこういう夢の世界の人の変化が一番怖いと想う


ドミノと同じ
夢の世界で起きているなら  いつか必ず現実化する
一度倒れ始めたらもう引き返せないから



平成の大不況の時
不眠から鬱病になる人や
逆に起きれずに鬱病になる人が多かったから
もしかしたら経済方面の大クラッシュかもしれない
・・・と想ったり






あまり血筋に詳しくないので違うかもしれませんが
東征は物部が望んだような気もする
物部といってもいろんな部族の集合体だけど

江南から来た部族が・・・






都道府県や地域の遺伝子や形質の違い














7 コメント:

神明神社
http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=2968&shrname=%E2%98%85%E7%A5%9E%E6%98%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E2%98%85

金刀比羅神社
http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=2971&shrname=%E2%98%85%E9%87%91%E5%88%80%E6%AF%94%E7%BE%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E2%98%85

大己貴命
http://www.genbu.net/saijin/oonamuti.htm

長野県阿南町
http://www.town.anan.nagano.jp/

ANNとANAは阿南の力を使える可能性アリ?

ちなみに↑二つの神社は非常に近い距離にあります。
そういや阿南町って大阪と東京のちょうど真ん中にあるような?
名古屋が京都・大阪側に寄っていたので大阪と東京の真ん中ならここかなと思いました。
 
m.c.A・T(笑)
DA PUMPカバー版のごきげんだぜっ!は結構好きでした(^^)
うろ覚えだったので落ち武者が平家とミスリードになってしまってすいませんでしたm(__)m
もろに出雲守護代だったんですね。

>1977年の映画版が一番オカルト色が濃くて
祟りの群集心理を利用した殺人事件なのに
本当に落ち武者の祟りっぽく作っているんですよね<
以下ネタバレですが・・・
殺人事件の結果が祟りの成就となっていることは原作でも金田一が指摘しています。
これは他の作品と混同しているかもしれませんが、
生き残った主人公は落ち武者の血統であったと。
個人的に横溝作品で一番好きなのはマイナーな「夜歩く」なのですが、これも先祖の復讐を結果的に果たすという内容でした。
どうも私は復讐譚が好きらしいです。
八つ墓村が一番映像化されて、(少年マガジンで漫画化までされている)支持されるのはそれだけ多くの人が復讐を、取り返しを求めているということでしょうか。
無意識に。
 
> m.c.A・T(笑)
> DA PUMPカバー版のごきげんだぜっ!は結構好きでした(^^)

なんか出てきたときは強烈だったのにあっという間に裏方に回ったのは不思議でした。まるで印づけのような。というのは想い返すとこの人の後から90年代の沖縄ブームが始まっているような。DA PUMPで。北海道の人なのに。

私が読んだのは『悪魔の手毬歌』一冊のみで恐怖で震えあがりました(笑
あの頃友達は何冊も読んでましたね。ドラマも映画もたくさんありました。
想ったんですけど、ちょうどバブル崩壊後で世間がどんどん暗くなっていた時期だと想います。

『八つ墓村』の人気はかなり史実と重なる部分があるんじゃないでしょうか。歴史に残っていない史実に。私たちの集合無意識だけが知っているような遠い昔に埋もれてしまった歴史に。やっぱり出雲かな~と想いますね。「八つ墓」に訴えるものがありますね。
 
考察が正しいなら
前提
 araki100p.web.fc2.com/jojolion_nazo_yosou015.html
 の考察が正しい。

 東方の過去が原住民の裏切り物という設定にした理由は作者が同じようなことをしていた集合意識の記憶をインスピレーションとして受信したからかもしれない。

東方を平家、蝦夷を出雲にしてみると面白いかも?
 
> 東方を平家、蝦夷を出雲にしてみると面白いかも?

それだと、平家が蝦夷の出身になってしまいますが、どうなんでしょう?

面白かったです。普通に旧家の伝承として読めますよ。これ、家系にまつわる因縁でよく出てくる話です。知恵や運が手に入る代わりに、その代償が代々家系を襲うという話。作者もそういう所の近くにいたのかもしれないですね。  

東方が蝦夷の裏切り者というのがまたいいですね。空海とか役行者とか、土蜘蛛出身で結界を張った一族を想像してしまいます。平家はペルシャの流れなのですが、もしそうだとしたらちょっと面白いですね。
 
こんばんは
もし名前を奪われたとしても奪ったものは本当には使いこなせない、むしろ使えば使えほど本当の自分を失っていくと思うのです。そして結局はそれは最後には奪われたもののところに戻ると思います。
 
封印すると、封印している側に封印されている側の情報が流れるようです。
相手が人間だろうと動物だろうと同じです。
深い所で気が混じっちゃったりするんでしょうかね。
いじめや侵略が起こると、互いに感情面で強くコミットすることになりますからね。

征服した側がやがて征服された側の名を名乗り始めたりシンボルを利用したりするのも、案外故意にやっているのではなく、呑み込まれてしまっているのかもしれません。だから出雲を封印しながらシャーマンとか巫女とか言い出すのは、出雲にシャーマニズムがあったのかなと想います。
 

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