2012年9月8日土曜日

みさきのたましい

少し大きめの太陽フレアが発生したその夜  


ちょっとだけ夢を見た




夢の内容は   過去の記憶や人物


雑多なものがごちゃごちゃしてて


書くほどのものではないんだけど


その中で私は


教室のような所で   問題を出されて


「廃墟となる場所を書け」


というものだった


その問題は難しいものではなく


��っつほど例を挙げるんだけど


一つ目は全員正解していて   そこは


川島町だった


二つ目はもしかしたら?


狭山市だった


三つ目は覚えていない





特に意味があるような夢じゃなかったんだけど


川島町!って随分強く言われたので


書いておく


そして夢の中で教室の後


生徒たちが皆で真夜中に   線路沿いをだらだら歩きながら


どこかの駅に見学に行った


そこは廃墟どころか   透明なエレベーターがある


ピカピカの駅で   どこの駅かはわからないけど


終着駅であることは確かだった





川島町・・・・ってどこだったっけ


埼玉の南の方じゃなかったっけと想っていたら


川越  大宮の隣だった


廃墟になるほど   何かがある所でもない


田んぼばかりの   地味ーーーーな田舎・・・


だけど案外こういう所が   昔のままの面影を残して


想念の世界で   この辺りに


過去に何かあったかのかもしれない?


ただの夢からは何もわからんー





この町は   荒川の上流にあって   


入間川が流れ込む   合流地点だった


地図で見ると   川島町という名前のごとく


北と南が   両川に挟まれている


ふと想ったのは


江戸   東京に流れ込む


荒川の上流にあるのなら


ここから川下に


いろんなモノを投げ込むことができただろうな


ここが何かの基点


水の流れ   川下の流れを支配する


想念の世界での   何かの基点かもしれない


ただふとそんなことを   想った





狭山市はなんでだろう


調べてみたら


川島町で荒川に合流する


入間川の上流にある地域で


地名にも   狭山市入間川という所がある


狭山市駅は昔は   入間川駅だったとか


気が付けば


川島町と狭山市は   川越市を挟んでお向かいさん


それが入間川を通して繋がっているのか


この入間川は不思議?なことに


埼玉の南から北上して   荒川に合流している


恐らく秩父山脈から流れ出る水が   


武蔵野台地の周りをぐるっと回って


まるで囲い込むように


海抜の低い大宮周辺に   縄文時代は海だった場所に


流れ込んでいるのだろう





なんとなく   この二つの川が


関東の   いや多分    さいたまの   


結界の一つのような気がした


そしてそれが本当に結界だったとしたら


この川に近い町に


何かしらの変化があるかもしれない





入間ー荒川
入間川-荒川のライン。立川まで伸びると西武線がすっぽり入る


入間川

古くは荒川は東寄りの現在の元荒川を流れ当時の利根川に合流しており、入間川は単独で下流の隅田川へと流れていた。江戸時代の1629年に荒川の付替えが行われ、熊谷市久下から現在の荒川合流点まで開削し、現在の流れが形作られた(利根川東遷事業も参照)。

利根川の東遷

利根川の東遷は、江戸時代の最初の将軍(徳川家康)の命令で行われました

東遷事業の目的は、江戸を利根川の水害から守り、新田開発を推進すること、舟運を開いて東北と関東との交通・輸送体系を確立することなどに加えて、東北の雄、伊達政宗に対する防備の意味もあったといわれています。

東遷の工事は、当時栗橋付近から江戸湾に流れていた利根川の流れを東に移し、台地を切り通して赤堀川としたほか、常陸川と多くの湖沼を結びつけて銚子に流すものでした。

いまの利根川の流れは、人の手により東へ流れを変えてできたものです。江戸時代に少しずつ東へと流れを移し変える大工事が、約60年間にわたって行われました。これを東遷(とうせん・東へ移すこと)と言います。それまで東京湾に向かって流れていましたが、人々の努力によって現在のように千葉県銚子市で太平洋に注ぐようになりました。


利根川東遷事業wiki

これらの一連の河川改修により、東北から江戸への水運には、利根川を使うことで危険な犬吠埼沖の通過や房総半島の迂回をする必要が無くなり、利根川は、大消費地江戸と北関東や東北とを結ぶ物流路として発展した。この水運路は鉄道網が整備される明治前半までは流通幹線として機能していく


利根川




さいたまは   東京から東北へ向かう   玄関口でもあり


また   東京のベットタウン   東京へのエネルギー供給地として


発展した


人口動態など   統計上の数値を見ても


他のベットタウンよりも   東京への依存度が高く


もともと東北への防波堤として


エネルギーの付け替えの地として


役割を負わされていたのかもしれない





利根川を銚子へ流したのは   付け替えたのは


東北の力を恐れてのこと


江戸に張った結界は


東北の力をダイレクトに受け切れず


ほとんどを銚子へ集めて 


わずかに東京湾に流して


そうやって


東北から受ける力の流れを   かわしつつ


力を取り込んでいたのかもしれない




さいたまには


西武線と東武線があって


西武グループが運営する西武線は


鉄道事業と   その周辺の宅地開発による不動産事業を担い


このグループの頭取が世界の長者番付けに載るほど


栄華を極めた時代があった


西武線はどういうわけか


他の路線にとの乗り入れが悪く


駅を別にしている所が多くて


そのため利用者は別の路線に乗り換えるために街中を歩かされ


不便なことで有名で


利用者の利便性よりも


開発地の商売を優先する姿勢は


このグループの繁栄と


凋落を


表しているようで


同じさいたまでも


このエリアは   西という名の通り


東北の玄関口とはならず


また


東京へエネルギーを抜かれることも


少なかったようだ



もし西武線が他の路線へ頻繁に乗り入れたら


東京へ直接流れてしまっていたら


コクドによる西武グループの栄華は


きっとなかったと想う






まるで入間川ー荒川ラインの囲いに守られるかのように


西武線は   囲いの中を走っている





さいたまの東武線は


東の武   東の戦   東征


そのまんま   東の結界


エネルギーの通り道で


東京へ献上される





家康によって築かれた江戸の結界   利根川の東遷と   


家康が眠る日光へ繋がる   東武線


スカイツリーを東武線上に建てて


必死に維持しようとしているけれど


結界が破れてしまったら


水の道は


自然な形に戻ろうとするかもしれない




埼玉の「埼」の字は   崎と同じく


岬を意味する異体字で


玉は魂


古代この地は   海に面した岬が多く


岬は墓場として   多くの魂が眠る場所


蘇りの場所




それはずっと前から   予言されていたのかもしれない




2012年9月1日土曜日

崖の上の奇跡 (後)

与論島周辺について調べていたら、過去最高級の大型台風が与論島を直撃・・・しているニュースが気になって、何を書きたかったのか忘れてしまった。うーんと。うーんと。ああ、想い出した。

fossamagna.jpg


以前フォッサマグナについて書いたとき、東日本と西日本は古代から別の土地として地理的にも意識的にも別れていたんじゃないかと書いた。日本が単一国家として日本人が認識したのもようやく江戸時代になった辺りとか最近のことではないかと。昔から東征をしていても、幕府のトップを征夷大将軍というほど、東日本というのを同じ民族とは想っていなかった。日本の中で東と西というのは、潜在的には決して繋がってはいなかったのだと想う。東北の存在は、西へのエネルギー供給という役割でしかなかったのは、江戸吉原遊郭の遊女や、戦後の集団就職がほとんど東北からやって来たことをみてもわかる。

で、それはプレートの構成を見ればなんとなく納得できる部分がある。フォッサマグナを境にユーラシアと北米プレートに分かれていて、大昔は海だったところが今度は南北アルプスを戴く巨大な山脈を形成している。これを超えるというのは大変なことだったろうし、心理的に東西を隔てる大きな壁になっていたと想う。

東日本大震災の後、「絆」という言葉が巷に溢れた。これは糸が半分、つまり潜在的にコードが半分になった、というお知らせだったらしい。つまり東日本を束ねているコードが抜けたと。

そして現在原発の放射能汚染を恐れて、関東から西日本へ退避する人が増えている。これは、コードが抜けただけでなく、心理的に東日本のエネルギーを受け取ることを拒絶していることになる。

これ、結構大きなことだと想う。なぜ東征が始まったのかよくわからないが、そこにエネルギーがあるから、何かあるから命がけて進んだはずだ。
日本という国が出来上がったのも、これまで一つの国として体を成していたのも、東日本を征服したからであって、もしサヨナラするなら、プレートの構造上、いつこの国家がバラバラになってもおかしくないと想うのだ。地理的にこの国はフォッサマグナで真っ二つに分かれて別々のプレートに乗っかっているのだから。


何が言いたいかというと、二つのプレートが繋がって地続きになり、東日本を従えたから日本という国で統一することが可能だった。
日本中に神社を建て龍穴を塞ぎ結界を張ったのは、東日本を西日本に繋ぎとめるためというか、そういう風に綱を張らなければ一つの国として想念の集合体を集めるのはできなかったのかもしれない。なにせ、プレートレベルでは地殻のエネルギーは別々で通じ合っていないし、地上で表面的に一緒になろうとするにはエネルギー的に無理がある気がする。つまり、人工的な結界によって一つになっていたのなら、結界が崩れて自然の状態に戻ったら、別れてしまう方がむしろ自然ということになる。

もしこれから西日本が東日本のエネルギーを拒み続けていたら、潜在意識の世界はやがて現実に投射され、現実的にこの国が真っ二つに分かれても不思議じゃない。それは天災という形で現れたり、政治から始まるかもしれないが、それがいつか地理的にも二つに分かれたとしても、私は驚かない。こんな風にプレートを跨いで一つの国として統一されているのは日本ぐらいだからだ。

「ヨコハマ買い出し紀行」をアニメで観たのだけれど、主人公が遠出をするエピソードで、とくに何が起きることもなく、何の目的もなく、静岡辺りで引き返してしまう。そしてその先の情報が何もない。関東方面からは何かしらあるのだが。


日本が分断されるかもしれないという予言は前から出回っていて、それは集合無意識が発しているサインではないかと想う。

2020年予想極東マップ

それは中国の侵略という形であったり、原発による管理区域という形であったりするが、現実にどういう形を取るのかはわからない。だけど両方とも、フォッサマグナを境として東西に分かれてしまうというイメージを見ている。多分これは実際の事象よりも、その地の魂や土地が先祖がえりするっていうイメージが集合無意識に降りてきているんじゃないかと想う。

がれきの処理を全国的に負担しようとしたのは、まだ繋ぎ止めようとしていたのかもしれないけど、それが却って各地に拒絶反応を起こさせ、深い意識に伝わった恐れも・・・。

ちなみに、西日本が中国、東日本がアメリカの管轄となったら、プレート的には同じグループに属するからありえなくもない・・・。

日本という国の上で中国筋と米国筋の対立が見られるのも、プレートレベルでいえばこの国が双方のプレートを跨いで成立しているせいともいえる。両大陸の干渉から逃れられないのも、この国が両プレートに走るエネルギーを共有しているせいとも言えて、オカルト地質学的には極めて自然だと想うのだ。日本列島の真ん中でユーラシアと北米プレートが衝突している様は、まさに人間の世界でも同じような現象を招いているわけで。

逆に言えば、日本の力の源泉はいくつものプレートのエネルギーを従えているせいかもしれないし、プレートテクトニクスによって構造を知れば知るほど、なんというか、見えない世界の采配を感じずにはいられない。

結局ムー大陸、ムー文明はどこに行ったかというと、フィリピン海プレートにあったものが、このプレートの回転・移動の速さのせいで、琉球海溝に飲まれていったんじゃないかなという気がしてくる。どうしてフィリピン海プレートや太平洋プレートの進行が他のプレートよりも圧倒的に速いのか、それが今は謎に想えてくる。

2012年8月31日金曜日

崖の上の奇跡 (前)

去年まではプレートといえばフォッサマグナぐらいしか知らなかったけど、今回世界のプレートとその構造について調べてみたら、プレートの構造や力学が世界の、その国に与えるエネルギーに関係している気がして、また違った視点から見ることができるんじゃないかと想った。

海底プレートの調査は困難を極めるから、まだまだ判明していないことも多いらしく、すでにわかっているプレートがさらに細分化される可能性もあるらしい。とくに太平洋プレートのような巨大な海底プレートにはまだその余地がたくさんあって、パズルのピースはこれからも増えていくだろう。未解明のことが多い分、それだけいろんな空想を楽しめることができる。


ふと、フォッサマグナとプレートの関係を調べようと想ったら、日本の成り立ちについての記述を発見。

日本列島
すなわち約1万3,000年から1万2,000年前であることから、ほぼこの時期に日本は、完全に大陸から離れて現在の姿と環境を整えた事になる。

あれ?縄文時代って1万年続いたっていうよね。日本が完全に大陸から離れて日本海が出来上がったのが1万2000年前だとすると、縄文時代に今の日本の形が出来たということになる。うーん、結構最近じゃない?海洋民族が渡って来たという本を以前読んだので、縄文時代はもう日本は完全に海に囲まれているかと想ったよ。


日本列島1日本列島2日本列島3

日本列島が大陸から離れ始めた頃、フォッサマグナのエリアは日本海と太平洋が繋がっていて、日本列島のド真ん中に海があった。
その後フィリピン海プレートが伊豆諸島を伴って北上したときに、フォッサマグナエリアの海底が隆起して、日本が繋がったとか。

北米プレートとユーラシアプレートの境界は今でも議論があるらしい。一応フォッサマグナよりも北が北米プレートということになっているけど、ユーラシア大陸から離れて出来た経過を見ると、一体いつから東日本が北米プレートになったんだろうかと想う。東日本が北米プレートだと発見されたのは、1983年に日本海で起きた地震のせいだというから、かなり最近のことだ。またどこかで違う地震が起きたらプレート境界は変わるかもしれん。

3Dplate.jpg

ととと、さらにぐぐっていたら、オホーツクプレートなるものが存在するようだ。厳密にいうと、東日本はオホーツクプレートに乗っかっているらしい。なんだかもー、次から次へといろいろ出てくる・・・。広義の意味では北米プレートの一部ということらしい。しかも、西日本も実はアムールプレート上にあるらしく、これもユーラシアプレートの一部だとか。

やっぱり巨大プレートというのは、単にプレート境界がまだ見つかっていない、ということだけかもしれないね。パズルのピースをあんまり細かくされても困るけどね。プレートテクトニクスだと、大きな地震が起きる場所は沈み込み帯だったり断層だったりということになるので、地震が起きるたびに、そこを境界として新たなプレートが作られていく。実証するのが困難だから、全てが仮説に過ぎなくなる。

沖縄トラフがある辺りも、トラフを境界として沖縄プレートと名付けられている。

オホーツクプレートアムールプレート

世界地図

自分がプレートの境界について想うのは、同じプレートなら同じ方向へ移動している、同じ方向へ動きがあるものは一つのプレートとして考えるとわかりやすいんじゃないかと想う。上の図にあるプレート速度と方向を示す矢印が同じ方へ向いていたら、それは同じプレートだと見なしてもいいんじゃないかと想う。エネルギーが同じように働いているわけだから。そうなると、地図を見ていると、ロシアにある北米プレートとユーラシアプレートの境界はもっと内陸にあるんじゃないかと。実際このエリアの境界はまだはっきりしていないらしい。グーグルアースを思いっきり引いて見ると、陸上の境界とされている場所は、アースでもなんとなく地形に変化が見られるのが面白い。ロシアには4本くらい縦に地形のズレが見えて、一番右が現在の所北米プレートとの境界線になっているけれども、上図の矢印の方向を考えると、2番目の線辺りが本当は境界かもしれないと想ったりする。2番目の線の先にはロシア最大の湖であるバイカル湖がちょうどあって、これがある理由にもなると想うのだ。


ユーラシアー北米プレート


プレートテクトニクス図

2012年8月30日木曜日

消えた大陸 3

話は戻るけど、下の2005年以降のM1以上の震源地では、きれいに九州を除いた静岡以西の西日本が空白となっている。フィリピン海プレートに裂け目があって、支えがないと言われているエリアだ。

2005年以降の震源地

空白エリアの海の方に南海トラフがあって、ここがユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが沈み込んでいく沈み込み帯となっていて、巨大地震を誘発する場所でもある。小さな地震が観測されないまま、大きな地震が起きる場所とされているのは、何だか力を溜め込んでいるように見えて空恐ろしい・・・。



大きな地図で見る

海底遺跡のある与論島がある琉球諸島は、ユーラシアプレート上にあって、でもすぐ側にフィリピン海プレートが沈み込む琉球海溝がある。ここら辺で遺跡や化石が海の中から見つかっているけれども、海溝の下に超太古の文明が飲み込まれていった可能性もあると考えてもいいのではないだろうか。例えば文明が衰退した原因はほかにあっても、その形跡が発見できないのは、この近辺のプレート移動の速さや、海溝の深さに依るものかもしれないと。

琉球諸島の西には沖縄トラフという海溝ほど深くはないけど沈んでいるエリアがある。このトラフは実は中央構造線地帯の構造と関わりがあるように思える。


沖縄トラフ
ユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが沈み込み、沈み込んだプレートが大陸棚の地底に溜まり、溜まった物質が冷えて更に地中深く落下する際に地表面を一緒に引き込んだ窪地が、東シナ海であると考えられている。沖縄トラフは、その中心的エリアであり、最も深い海域にあたる。琉球海溝がフィリピン海プレートの沈み込みで形成されたのとは、また異なるメカニズムによる地形である。

琉球諸島に連なる九州や四国などの太平洋の側も、前述のようにフィリピン海プレートに引きずられている。この側は、沖縄トラフの周辺に比べて地殻が厚いため、窪地でなくて正断層となり、長い中央構造線が形成されたものと考えられている。ただ、九州の付近における沖縄トラフと中央構造線との間の構造が、どのようになっているのか、未だ詳しく解明されていない。


まだ解明されていないので憶測レベルに過ぎないけれど、近畿エリアでフィリピン海プレートが裂けたり支えがなくなっている状態を考えると、ここら辺も沖縄トラフのように凹んでいるのだと想う。実際瀬戸内海はそうしてできたのかもしれない。近畿地方の形成は、フィリピン海プレートによって伊豆諸島が日本にドッキングしたように、フィリピン海プレートがユーラシアプレートに沈み込むときに削られた削り節が溜まって出来たものだとか(カリフォルニアエリアも同じ原理)。そうやって積もり積もって形成された陸地に、瀬戸内海のうような内海が出来たのは、沖縄トラフが出来た仕組みと同じで、下が沈んだのではないだろうか。九州にも有明海や八千代海などの内海があり、これらや瀬戸内海は、フィリピン海プレートに沿って沖縄トラフから北上するとちょうど延長線上に位置している。おっと、琵琶湖もその先にあった。つまりこのライン上の土地が低いのは、沖縄トラフと同じ原理で沈んだんじゃないかと。


象さんの横顔の形をしたフィリピン海プレート。その頭から鼻の上に日本列島が乗っかっていて、象さんのお耳の部分に世界一深いマリアナ海溝がある。まだまだ探りたいことはたくさんありそうだけど、取り敢えず一旦この辺で。

(;-_-) =3 モウツカレマシタ・・


参考資料:大陸移動とプレートテクトニクスについて語るスレ

2012年8月29日水曜日

消えた大陸 2

プレートテクトニクスの図を見れば見るほど、日本列島の怪奇さに目を見張る。東日本は北アメリカ、西日本はユーラシアそれにフィリピン海プレートまで加わって出来た一つの列島。二つ以上のプレートが重なって一つの国を成しているのは日本だけ。そういう場所はあっても、国は分かれている。西日本と東日本が同じ国である方が奇跡だ。プレートテクトニクスを見ている限りでは、この島が真っ二つに割れて、割れなくても東西で二か国に分裂してもちっとも驚かない。むしろ自然なくらいだ。

話は逸れるけど、アメリカが東日本大震災で素早く援助しに来たのも、陰謀論的にはいろいろ言われているけれど、このプレートテクトニクス図を見ている限り、自然な気もするのね。東日本は北アメリカプレートの一部で海の下では地続きなんだよね。同じ皿の上に乗っかっていて同じエネルギーを供給されているというか。ある意味運命共同体で、影響が出やすい。
アメリカが原爆を西日本に落としたり、沖縄に米軍を駐在させてもどことなく他人事にような対応なのはプレートが違うからか?まあ妄想だけれども。

そういえば、関東平野にもう一つプレートがあるという情報が。

関東フラグメント


関東フラグメント

関東付近は、ユーラシアプレートの下に、西北西に向かうフィリピン海プレートが沈み込み、さらに北西に向かう太平洋プレートが沈み込んでいると考えられている。仮説によれば、関東フラグメントはおよそ200?300万年前に太平洋プレート上の海嶺がプレートの下に沈みこもうとした際に、抵抗が増大して太平洋プレートが破断して生じたプレートの断片とされる。関東直下の栃木県南部から神奈川県北部までの地域の深さ30?100km付近に、厚さ25km、100km四方にわたって存在している。現在は太平洋プレートがこの断片の下にさらに沈みこもうとしており、関東直下は4層のプレート構造を成していることになる。


4層って・・・    (-_-;)

関東平野って北アメリカプレートだけじゃなくて周囲のプレート全部沈み込んでいたのね・・・。

関東平野は上から順に


��.北アメリカプレート
2. フィリピン海プレート
3. 関東フラグメント
4. 北太平洋プレート


ってことか。

でもなんとなく、この関東フラグメント、本当かなあと想う。ちょうど関東平野ぐらいの大きさのプレート破片が挟まっているらしいけど、それなら何で関東平野は海抜が低いんだろう。少しは盛り上がってもよさそうなものだけど。

関東フラグメント発見の記事

実証することは不可能であくまでも仮説らしい。この記事の図だと、東日本がユーラシアプレートになっている!北米プレートはどこ行った?一体どっちなのよ~ん?!
一方、フィリピン海プレートが関東まで潜り込んでいるという記事が。


潜り込むフィリピン海プレート
フィリピン海プレートが地殻破壊の南下をストップさせた…。(読売新聞記事・3月24日)


フィリピン海プレートは伊豆で止まって関東まで来ていないという話をどこかで見たような。
実証ができない分専門家の間でもいろいろ錯綜しているんだな・・・。

関東フラグメントは仮説の域を出ていないけれど、プレートの破片というのが存在する可能性があるわけだ。例えば古代に大陸があったとしても、対立プレートの下に潜り込んで消えてしまった、ということもあるかもしれない。そうするとその大陸があった形跡などなくなるわけだ。

関東フラグメントが失われたムー大陸だった、というトンデモで終わらせようかな・・・www
関東に巨大地震が来て、ムー大陸再浮上w!?


フィリピン海プレート境界図

フィリピン海プレートの詳細。
青:海溝。沈み込み帯。
紫:衝突型境界(収束型)
赤:海嶺。拡張型境界でプレートが作られている所。
緑:横ずれ断層。境界が曖昧。
グレーエリア:造山運動によって隆起が盛んな所。
矢印:(アフリカ大陸への)移動方向と速度。年ミリ。

収束型・拡張型(発散型)境界については→プレートテクトニクス
この地図の詳細→プレート

フィリピン海プレートを見ていると、海溝が多く沈み込む力が強いことがわかる。移動速度も速い。
プレート移動の動力は、マントルの対流やホットスポットなどによるマグマの上昇によって生まれるとされているけれど、プレートの沈み込みによる引っ張る力の方が動力になっているという説もある。考えてみたら、地球の重力の方が上に上る力や横に動く力に比べて圧倒的に大きいだろうから、海溝が多い所、というか深い海溝がある所はそこに引っ張られるプレートの速度が自ずと速くなるだろう。滑車の原理。

これの世界地図が拡大図のリンクをクリックすると見れる。
拡大図

プレート境界図


この図では最も速度が速いのが北太平洋プレートで、その次がフィリピン海プレートのようだ。両方とも日本へ向けて沈み込んで来る。太平洋プレートが沈み込み先には、世界一深いマリワナ海溝がある。日本近海では他のどの地域よりも大きな海底の移動が起きていて、しかもそのプレートが日本の下に潜り込んでいる。消えた大陸、消えた文明は、実は日本や隣接するプレートの下に消えていったと考えてみるのも一興。

調べていくうちにムー大陸の場所よりも日本が、東京がいかに危ういバランスの上で成り立っているかを知って、そっちの方が恐ろしくなった私であった。そりゃあ学者が巨大地震確率90%って言う筈だわ。

2012年8月28日火曜日

消えた大陸 1

海洋底拡大説
中央海嶺で地球内部から物質が上昇し、新しく海底の岩盤を作るため、海底が中央海嶺の両側へ拡大するという学説。拡大する一方、海溝でその岩盤が沈みこみ、結果として大規模な物質循環が起こって大洋底が徐々に更新されているとするため、海洋更新説(かいようこうしんせつ)ともいう。

プレートテクトニクスの元となった説。中央海嶺というのは海底山脈で、それが活火山のように地球の内側から物質を吐き出しているので、山脈が両側に広がるように海底が拡大しているという。プレートテクトニクスでは、拡大しているのではなく、マントルの対流によって海嶺で生まれた岩盤は海溝へと沈み込んでいくので、それがプレート移動の力学となっている。

海嶺
【東太平洋海嶺(海膨)】 : 太平洋南極海嶺の続きでチリ沖のイースター島付近からカリフォルニア湾に繋がっている中央海嶺。ここで生まれた海洋底は誕生した約2億年後に日本海溝に沈む。


海洋底_age_1996
海洋底の生成された年代を示しており、赤いものほど若い。見にくいけれど、陸と海が反転している。


海嶺がある場所、上の図で赤いエリアの中心を走っている線は、プレート境界になります。

ちなみに、マントルの上昇はホットスポットと呼ばれ、海嶺生成とは直接関係ないことがわかっている。現在大西洋の中央海嶺にホットスポットがたくさんあって、大西洋を拡大させている。上の図で太平洋プレートの中央海嶺が大部分赤いけれども、だからと言って拡大しているわけではない。2億年後にはベルトコンベアーのように、日本海溝に沈むわけだ。


プルームテクトニクス


プレートの水平力学についてのプレートテクトニクスに対してマントル対流の上下運動を表した垂直力学についてプルームテクトニクスというのがあって、この二つの理論によって現在地球の地殻運動は説明されているらしい。だけど私のシンプルな頭では、そんなうまいこと説明できるんだろうかとどうしてもオカルト方向に持っていきたい誘惑に駆られるwここまでで大学の地学レベルのことをやっていたようで、久しぶりに使った頭に知恵熱が・・・


そしてホットスポットがある場所。

hotspot.png

上の赤いラインは、発散型境界といって、新しい岩盤を作り出す海嶺が出来る場所です。   
青いラインは、収束型境界といって、プレートが沈み込む海溝が出来る場所です。
斜線のエリアは、プレート境界が曖昧であるとされる所です。


ホットスポット
ホットスポットの地球科学上の意味は、マントル内部のプリュームテクトニクスが地表に顔を出したものであるほかに、プレート運動の証言者という意味がある。・・・それらのホットスポットの軌跡のある場所がプレートの動く方向と一致しているか検証したところ、ほぼ一致するという結果が得られたばかりか、太平洋プレート、ココスプレート、ナスカプレート、インドプレートの動きが他のプレートの動きよりも早いことまで判明した。

ホットスポットの発生は、大陸の移動には影響されないが、ホットスポットがプレート内部で多く発生することによって、大陸移動の契機になりうると考えられている。つまり、ホットスポットができるとプレートに放射状に3方向へ割れ目ができるが、そのようなホットスポットが多数あることによって割れ目同士がつながり、中央海嶺の成因になるということである。実際、現在の大西洋中央海嶺はホットスポットと重複している場所が多く確認されており、アフリカの大地溝帯もアフリカスーパープリュームの地表部分をなすホットスポットであり、巨大な割れ目となって大陸が分裂し、将来的に中央海嶺が形成されるだろうと考えられている。



私の知能レベルではここまでが限界っす・・・・。
ただ一つ気になって書いておきたかったのは、海洋底図の太平洋の日本寄りの所に大きな青いエリアがあること。
ここは太平洋プレートの西限で、フィリピン海プレートに隣接している。ここのエリアが青いというのは、ここの地底がとても古い年代に作られたことを表している。他に目立って見られるのは、北アメリカ大陸東側とアフリカ大陸の西側と東側である。北アメリカ大陸東とアフリカ大陸西側は、超大陸時代に地続きだった場所。原初の地形を留めているといえる。

プレートの動きが速いものとして、太平洋プレート、ココスプレート、ナスカプレート、インドプレートがある。海底プレートはどれも書いて海洋底図で赤いエリアで、新しい海嶺が生成されているのがわかる。つまりベルトコンベアの動きが速いという。インドプレートは、超大陸の時代に南から北へ上ってユーラシア大陸に衝突してくっついたぐらいだから、動きが速いのだろう。隣接するオーストラリアプレートと南極プレート境界の海嶺も広範囲で赤く、活動的なのがわかる。現在オーストラリアもかなり早いペースで北上しているらしく、フィリピンやインドネシアの地震は、オーストラリアプレートの北への圧迫が影響しているのかもしれない。

陸の世界では、インドやアラビア半島が北上してくっついてユーラシア大陸になったり、東日本がある北アメリカプレートと西日本のユーラシアプレートがくっついて日本列島が出来上がったり、フィリピン海プレート上の伊豆半島が北上して日本と合体したりして何事もなかったかのようにw一つの大陸、島を形成している。ならば、海底でも同じことが起きていた可能性もないのだろうか。


ハワイ―天皇海山群

中央の「くの字」に連なっているのは、ハワイー天皇海山群といって北のアリュージャン列島から南端のハワイまで連なる海山。くの字の上部分が天皇海山群で下がハワイ諸島に当たる。
ホットスポットであるハワイで生まれた海山がプレートの移動によって北へ動き、その後プレートが西へ動いたためにこのような形になったとされる。

不思議なのは、この海山群から日本までの海底エリアは海洋底の年代が最も古いエリアとして海洋底図では青く印されている。では、ハワイ―天皇海山群の形成はそれほど古い時代のものなのだろうか?一方で太平洋プレートは他のプレートよりも動きが速いことがわかっている。ベルトコンベアの動きが速いのに、最も古いエリアが、しかもかなり広範囲で存在している。どこか矛盾していないだろうか?

具体的な年代の計算から考えるのは私の頭では無理なので (^_-)
素人頭のイメージからみると、このハワイ―天皇海山群の右側に海溝のようなものが見える。


大きな地図で見る

これがもし古い時代の海溝の跡だとしたら、それとも海嶺の跡だとしたら、太平洋プレートの南米沖の活動による動きの活発化と、日本側に存在している古いエリアとが分断されていたことになり、太平洋プレートの両脇の性質の違いが説明されるような気がするのだが・・・。

「広がっていくベルトコンベアー」というイメージが掴み辛いので、誤解している部分も多いかもしれない。だけど日本側に近いこの青い部分が気になるんだよなあ~

どうしてもここら辺を古代大陸に結び付けたいんだろうなー私w

イースター島あたりは海底にどでかい活火山山脈があってホットスポットも近い。ここら辺が大昔に海底でも陸上でも大きな地形の変化に遭っていても不思議じゃないと想うんだが。モアイ像は何も言わずにじっとその流れを見つめていたのだろうか。


参考資料:
広島大学の地学講義
知恵袋

2012年8月27日月曜日

日本で発見される超古代

超古代文明より転載


日本で発見される古代文字

「中国から漢字が伝えられるまで日本には文字がなかった」と、日本人の大多数はそう信じ込んでいる。義務教育の小・中学校はいうまでもなく、高等教育の場でも繰り返し、そう教えられてきたからだ。

しかし、平成三年七月、佐賀県大和町の東山田一本杉遺跡から出土した弥生前期末の甕棺から、「古代南インドの象形文字」が発見された。
日本人考古学者が見逃していたものを、たまたま調査に訪れた、インド人考古学者ポンナムバラム・ラグパティ博士が発見したものだ。
意味は不明だが、甕棺の側面に、縦十五センチ、横十九センチの大きさで十字に引かれた線の先端が熊手状の文字が描かれていた。ラグパティ博士は「紀元前三世紀頃まで南インドの土器に描かれていたグラフィティという古代文字と同じだ」と語り、驚きの声をあげた。

しかし、この程度で驚いてはいけないのだ。紀元前二五〇〇年から紀元前三〇〇年頃に使われていたと思われる古代シュメール文字やバビロニア文字、ギリシャのピロス文字、中国の甲骨文字のルーツと思われる文字が、西日本一帯において、続々と発見されているのだ。(日本ペトログラフ協会調べ)

つまり、インドどころの騒ぎではなく、超古代の日本人が世界各地と交流していた形跡が見られるのである。ただし、それらの発掘物が、世界各地から古代文化を伝えた部族が集団で日本列島で渡来し、それぞれのルーツを伝える文字を岩に刻み込んだものなのか、逆に日本で発明された古代文字が世界各地に伝えられ、定着し完成するに至った形跡をしめすものなのか、この辺については今のところ定かではない。

いえることは、いずれの文字も、超古代文明の遺産とされる巨石文化遺跡の大岩に刻まれた状態で残っているところを見ると、紀元前二五〇〇年どころか、その起源はずっと古くまでさかのぼる可能性があるということだ。
そして、日本列島が、古代文字の発祥の地だった可能性があるということなのである。



日本の歴史は超古代にまでさかのぼる


王仁三郎の唱えた人種・民族論によれば、いわゆるセム族とは、日本人、ユダヤ人、満州人、蒙古人、コーカサス人などを含んでいる。とくに、日本人とユダヤ人は、同種の民族であるだけではなく、素盞鳴尊を祖神とするセム族の中核であるとした。

さらに王仁三郎は、セム族をイスラエル人種とも称し、日本人とユダヤ人は、世界経綸を担う重要な民族であると説いている。

泉田瑞顕氏は、『出口王仁三郎の大警告』の中で、王仁三郎のこの説を敷衍してこう述べている。

「今から約四千年前、中東パレスチナの地に集結して、イスラエル王国を建設した十二部族というのは、セム族である。このセム族というのは、太古の時代、世界経綸のため富士高天原から各地に降臨した天孫民族である。中東パレスチナの地にイスラエル王国を建設した十二部族こそ、富士高天原からアジア大陸を西に降った天孫民族の後裔と見るべきである」

もしこの説が正しいとすれば、旧約聖書にセム族として記されたイスラエル十二部族は、実はアジア人であったことになる。

これは、人類の歴史を根底から覆すものだ。そうするとモーゼも、イエスも、みなアジア人であったことになってしまうのである。

欧米社会の拠りどころであったキリスト教やユダヤ教は、アジア人が生み出した教えということになれば、白人主導型の古代世界史観、ふっとんでしまうだろう。これは、白人---というよりイシヤにとってみれば、断じて受け入れられないことに違いない。

しかし、最近のペトログラフ研究の観点からしても、この説が次第に立証されつつある。

さらに、興味をそそられることがある。

終戦後、マッカーサーが厚木基地に降り立つと、すぐに元海軍の水交社にフリーメーソン東京ロッジを設置したことは既に述べたし、よく知られていることでもあるが、マッカーサーは、これと相前後して、石川県の宝達山に向かった言われている。

いったい、そんなところに何があるのか。

実は、宝達山には、モーゼが晩年に日本にやって来て死去し、この地に葬られたという伝説があり、墓まで存在するのである。マッカーサーは、上陸直後、ここに参拝に来たというのだ。

モーゼにまつわるこの伝承は、竹内文書に記されているものである。

(中略)

前述したように、竹内文書など、偽書のレッテルを貼られた古史古伝はすべて英訳され、アメリカでは正規の研究対象になっているものもある。

マッカーサーがもし、上陸すると同時に、モーゼの墓に参拝に赴いたことが事実なら、彼は竹内文書のこの記述を、認めていたことになろう。




マッカーサーは確認しに行ったけど結局本当かどうかはわからなかった、という結末かも。人類の起源はアフリカ発祥で世界に散らばっていったという見方だけど、自分は日本から(もしくは日本に近い古代文明から)世界に広がっていったんじゃないかと想っているので、この古代文字の情報は貴重だ。