2015年4月30日木曜日

番外編:出雲と忌部 2



> 私は征服者側(大和政権)が今度は更なる外敵に国を乗っ取られそうになる事態になった為、言霊の力で四国に結界を張ったのではないかと思いました。
> 四国遍路道はどこを通っても剣山が見えないように設定されているそうですが、剣山自体に天皇由来の色々隠しているものがあるのも理由だと思いますが
> 四国にかけた呪術を他所に悟られてはいけなかったのだと思います。山陰のように開発ものらりくらりなスピードですし・・・




失われたアークとか
剣山にはいろんな秘宝?がありそうな噂がありますが

出雲をいろいろ調べていると
本当は何にもないんじゃないか・・・
という気もしてくるんですよね。。。



幽魂安鎮も出雲のだし
宮中の鎮魂祭の儀式も出雲のだし
三種の神器も鏡以外は出雲のだし・・・


むしろ剣山にやって来た一族は
何かを隠しているというより
日本でお宝を見つけたんじゃないですかね。。。


それが出雲に表される
女たちのシャーマニズムだったり
豊富な鉱山資源だったり
その製鉄技術だったり
その他諸々とにかくたくさん



出雲は医療や薬学の知識も豊富で

『「出雲国風土記」と出雲の医薬』
以上のことから、『出雲国風土記』が、多くの薬草を載せながら、その効能や、薬草の発見や、薬草栽培について語らなかったのは、「実は、出雲には、大和以上に深い医薬の歴史や、医薬の神話が現実に存在し、医薬の先進地だった」ということに対して、大和政権に遠慮したからだと思われるのです。よく見れば、大和の神々が医薬を使って人や動物を治療したという神話はないのです。



出雲には大国主が赤剥けになった白兎を
薬を付けて治してあげるエピソードがある


薬草のような植物の知恵を得るには
植物とコンタクトできる霊感が必要で
巫女を主体とするシャーマニズムな出雲に
豊富な薬草の知識があったのは当たり前



島根県雲南市大東町に『出雲国風土記』にも記載されている「加多神社」があり、そこはスクナヒコナが主祭神と なっています。神社の案内板の「由緒書」には、 『神社の起源:記録がないため明らかでないが、少彦名命はこの地を根拠地として農耕医療等を教導された。その神徳を敬慕し古代より斎祀せられたものであ る』とされています。大原郡の「加多社」あたりが、出雲の医薬の本拠地だったというのです。今の、大東高校の裏手です。

この、加多神社の「加多」とは、・・・『「医術」と「加多」という組み合わせから、中国三国時代(2世紀)の医者・華陀(かだ)を連想する。日本では卑弥呼の時代だろうか。大麻から作った麻酔薬を用いて外科手術を行った中国の名医だ。』とされる見解があります。

つまり、「加多」とは、中国の医者である「華陀」という人の名前からきたものであり、スクナヒコナは、「華陀」の化身、あるいは、「華陀」から中国で医薬の術を学んだ渡来系の神だったのではないかとされるのです。




大国主は出雲国造りの時に
天孫から遣わされたスクナヒコナと一緒に国を造る


『出雲国風土紀』には
「忌部の神戸」という章があって
松江市玉湯町にある玉造温泉の
湯治のことが書いてある
忌部町や忌部神社が松江市にあるのです


このスクナヒコナは
国造り途中で去ってしまい
その後どうなったかわからない
粟島(淡路島)に行ったという説がある


そしてこのスクナヒコナと後に忌部氏を生んだ
忌部の祖である天日鷲命は同一神といわれていて

私は出雲にある湯治場の忌部の地名
スクナヒコナが医学の神であること
国造り途中で消えて消息不明
淡路島に行ったという話や阿波との繋がり
などから

スクナヒコナは忌部の祖であり
出雲から途中で消えたのは
そこで得た伝承や知識を持ち去ったのかなと想う



少名彦命と天日鷲命との関係
3 記紀神話にある所伝をよく検討すると、両神が粟・粟島(淡島)を通じてつながることも推測されます。阿波国はもと粟とかかれた地域で、古来、繊維の麻の産地であり、当地の開拓者たる忌部がその製作にあたっていました。そのことは、阿波忌部の祖とされる天日鷲神が木綿の製作者として記紀神話に見えることと符合します。古代の衣服・繊維氏族の倭文連・長幡部も忌部の同族でした。
  そして、また衣服・繊維氏族であった服部連も、これらの同族であり、その出自が伊豆国造一族であって、同国造一族が古来、同国賀茂郡で三島大社(伊豆三島神社)を奉斎してきました。同郡の式内社阿波神社が、いま神津島に鎮座して三島大神とその后神阿波比咩神を祀ります。伊予で多くの三島神社(その中心が大山祇神社)を奉斎した越智国造は、物部連一族ですが、これも少彦名神の同族でした。摂津国島下郡の三島県主(のち三島宿祢)は先にあげた氏族のなかにありますが、その奉斎した神社が三島鴨神社でした。





衣服や繊維を職能とする忌部の一族の内
服部連が伊豆国造一族で
三島大社を奉っている

また伊予の三島神社(大山祇神社)を奉る
越智族も物部連でスクナヒコナと同族だという


物部も忌部も阿波を支える氏族だけど
そのどちらも古代出雲において
出雲族と婚姻を結んだり
三島神社を奉ったりしている

出雲に深く喰い込んで
出雲崩壊前にそこから出て行っているような



スクナヒコナは大国主にサヨラナを言う時
この国はまだ未完成だよとか言い残して
いなくなるんだけど


お前何か盗んで行ったんじゃねーの


って想うのよね


まあ盗んだというより
暖簾分けという感じもするけど



スクナヒコナは大陸から医学や薬学の知識を
出雲国造りにもたらしたとされる
でも大国主がスクナヒコナを別府や道後温泉で
傷を治してあげた話があって
湯治に関しては出雲由来だとわかっている


玉造温泉がある忌部の神部
忌部氏はスクナヒコナから来ていて
その名も出雲にあったもの
出雲の忌部氏から
阿波の忌部氏が生まれたのでは?


出雲にあった湯治のような優れた医術を
スクナヒコナは会得した後
国造りからトンズラして
阿波に渡ったような気がする



つまり祝詞や伝承  儀式や秘法だけじゃなく
ありとあらゆる自然の恩恵で得られる知恵が
出雲から物部や忌部の系譜に移っている
いつの間にかごっそり阿波のものになっていて


私の直感だと恐らくそのタイミングで
出雲の国譲りが起きている


それらの知識や技術と
物部や忌部が大陸や中東から持って来たものが
阿波で一緒になって体系化されたとき
呪術化したような気がする


鉱脈を探し鉱脈を抑えるような


この島の情報を持っていた
出雲や各地の土着民の知恵が
この島の征服のために必要だったというのもあるだろうし


惜しげもなく分け与えたものを利用して
列島征服に至ったのかな


まあ世界中どこでも
原住民の征服っていつもそんな感じ


みんなものだよと親切に分け与えたものを
いつの間にが独占するんだよね


ニギハヤヒとか出雲族のハーフかもしれないけど
出雲を守ったという話も聞かないし
神武の前でナガスネヒコを殺しちゃうし
最悪って私は想うんだよね
物部は英雄扱いしたがるけど


そしてスサノオやニニギのような
出雲を征服して血を混ぜて
それで生まれたニギハヤヒのようなハーフが
出雲の宝――伝承や技術を
外部へ流出したんじゃないかと想うのね

物部の祖であるニギハヤヒが出雲とのハーフって
すごい象徴的で
出雲の富が物部に渡った歴史そのものって感じ
だから崇められるんでねーのって想う



同じく物部の祖とされるウマシマジ
ニギハヤヒと被るんだけど
東征後に石見に帰って没したのも
もうその時は出雲王朝はとっくに崩壊してて
故郷に帰っただけなのかな


大体神武の嫁の母が三島ナントカという名前だし
出雲の人っぽいしね
この娘を娶ったエピソードも
いかにも養分見つけたって感じだし
征服民は懐柔するために原住民の女を娶るもの



出雲の祟りが尋常じゃないのも
わかる気がする



平家のことを書くと呪いが来るけど
阿波のことをどんなに書いても平気なのに
出雲のことを書くといろんな所でファビョり出したり
すんごいざわつくんだよね
そわそわしているのがわかる


まるで煙に炙り出されたみたいに
本音が出る


だから出雲がきっとビンゴなんだと想う
アイヌとか他の土着民よりも








玉造湯神社・忌部の神戸・月と勾玉
  「出雲の忌部氏は、出雲国造家の祭器の調達や神事のことにしたがうのを世襲的な職能とした人々である。とくに出雲国造家においてのみ、そうした特殊な人々 が隷属したのは、出雲国造補任式などという臨時祭式としての特別な儀式が課せられていたことに、大きな原因の一つがかぞえられるであろう。即ちこのような 重大な特殊儀式をおこなうための経費の財源として、とくに忌部神戸が意宇郡内に設定されていたのであり、この地が選ばれたのは、花仙山の瑪瑙と、神の湯と いわれる温泉の湧出との、二つの条件をもっていたことに関係がある。」

朝廷の品部としての「忌部」は出雲・紀伊・阿波・讃岐が代表的なものとして明らかになっている。

出雲の忌部は朝廷に玉を貢納することになっていた。阿波は木綿(ゆふ)・麻布、紀伊は宮殿・社殿の用材、讃岐は楯を朝廷に貢納することになっていた。また筑紫と伊勢に刀・斧・鉄鐸・鏡などを貢納する忌部があったらしい。このうち紀伊忌部は直接中央の忌部氏に隷属していたが、他の忌部は国造の管轄かにあり、国造を介して物品を上納し、忌部氏が祭祀儀礼に使用することになっていたのである。





国造りって
天下統一後に中央から派遣された
天孫系の氏族のことですよね















1 コメント:

スゴイ勢いで考察が深化していて、ついて行くのがやっとです。

参考になるか分かりませんが、

出雲族と大和族の話(パート1) | 天の王朝 – 楽天ブログ
https://plaza.rakuten.co.jp/yfuse/14000/

「天皇派」の中で代々続いた内輪争いは「出雲族」と「大和族」の争いだった可能性大。「サナト・クマーラ」は「出雲族」の神様なのか。
http://rapt-neo.com/?p=26356
 

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