2015年4月27日月曜日

江と三島 3



摂津三島の社伝に
「大山祇神は百済から来た」とあるのは
出自を誤魔化しているような気がする




17 ::2013/10/17(木) 09:33:23.89 ID:2j8cYxym0
>>16
>それって時代的にはいつ頃の話なんだろ。
>北方系渡来人政権というのはスサノオが入る以前、大山祇神系の出雲のことを言ってるんだろうか?

スサノオが出雲に入る以前までの時代だと思います。
ところで、スサノオが入る前の出雲は
>大山祇神系
だったのですか?
なんとなく出雲は大山祇神系だとは思っていたのですがイマイチ確証がとれなくて。
大山祇神は元々は播磨の土着系の神です。

上で「日本在地人政権」と書きましたが、その際大変重要な役割を果たしたのが播磨の諸豪族です。例えば鴨(賀茂、加茂、迦毛)氏の故地は播磨です。「鴨族」は播磨から大和や山城に進出しました。
やはり、出雲に進出していたのも播磨鴨氏だったのですね。予想通りです。
その鴨氏が祭祀していた神が大山祇神なのですが、後には自ら従えた百済人などによって大山祇神は百済系の神である、などと流布されることになり、残念なことにそれが定着してしまいました。

後のことになりますが、神功皇后(実は即位して神功天皇)の母系先祖が新羅人であるなどという「嘘」が定着してしまったのもこれと全く同じ事情によります。
神功天皇を慕って日本に渡ってきた新羅人たちによって、神功天皇は新羅系であると流布されてしまったのです。
ちなみに神功天皇は久米氏の出です。
久米氏も播磨鴨氏と並んで「日本在地人政権」の樹立に大変大きな役割を果たした氏族です。






<播磨にいた出雲の大神>
大己貴命は現出雲(「丹波出雲」の対語として言うのだが)にいるので、さぞかし出雲国風土記では活躍するかと思いきや、実はあまり登場していない。かの有 名な「因幡の白兎」の伝説も書かれていない。風 土記を書いた出雲臣(いずものおみ)廣嶋(ひろしま)という人物が、神話や伝承など歴史部分を少なくして、 むしろ客観的な地理や物産の情報を多く盛り込もうとしているからである。「国引き」の説話など、貴重な伝承もあって、価値は高いのだが、歴史資料として古 代の出雲を知ろうとしても、肩透かしを食わされる。

 ところが、「播磨国風土記」には、出雲 の大神がよく登場する。た とえば「昔出雲の大神が神尾山に住んでいて、出雲の人が通りかかると、その半数を取り殺した」という伝承が伝えられている。男神 だけが一人で来て、姫神は遅れて来たので、男神の方は待ちきれずに一人で行ってしまった。遅れてやってきた姫神は、一人でその山にいるという。そのため、 いつも不機嫌なのだそうだ。残念ながら、その姫神の名は分からない。
 この話が出雲の大神の遷幸途上のことであったとすれば、出雲大神宮が伝えるところと、かなり符合している。元出雲では妻の三穂津姫と一緒にいたのに、夫の大己貴神だけが現出雲に遷されたという。これに対し、播磨では姫神は遅れてやってきたと伝えている。




「出雲の大神の遷幸」というのは
現出雲が出雲になった時代
播磨にいた出雲族が島根の出雲に行った時代
のことを言うのかな


大国主(大己貴)が三穂津姫を貰い
「出雲」を譲り受けて帰された時代


三島(島根)が出雲になった時代

出雲が三島(伊予)とシャッフルされた時代


ああわかりにくい・・・   (-_-;)




気になるのは三島溝杙姫(玉櫛媛)の父が
賀茂氏の祖である賀茂建角身命(三島溝咋)
であるということ

しかも後の八咫烏とか



ニギハヤヒも大国主の子だとか
別名、櫛玉命(くしたまのみこと)。とか

櫛といえば櫛名田姫
まるで正当性を主張しているかのような名

他にも


神武天皇の祖先、秀真伝と記紀、饒速日
饒速日も出雲系の血を引く。火明命の子なので、父母が邇邇芸命とコノハナサクヤ姫なので、天照大神と大山祗の血を引いている。


ににぎのみこと   からのくに


ニニギは半島から来た渡来人だと想うし
天照は天孫系の代表みたいになってるけど
本当は国津神のはずだから


ニギハヤヒは征服者と被征服者の間に生まれた子
列島の征服の象徴のような気もする


日本の侵略が起きた時
そういう子がいっぱい生まれたと想うのね

米軍が占領軍だった時代に
日本であいの子がたくさん産まれたように


まあ物部が古代出雲王朝の中枢に
早くから深く入り込んでいたともいえるのかな・・・
だから伝承も秘儀も全部物部に行ったし
物部は出雲族と考える人もたくさんいるのね




出雲も伊勢も祭神は国津神


元伊勢から伊勢神宮が生まれたように
元出雲から出雲大社が出来たのね

国家の一大事業として
伊勢と出雲が作られた

侵略を肯定するために・・・



播磨陰陽師が物部の系譜で
出雲の幽魂安鎮秘事の秘伝を伝承している

播磨にいた出雲の大神=賀茂氏が
出雲で出雲を作った?


大山祇神は播磨の土着の神ってことになってるけど
そうかもしれないけど
それが後に出雲が出雲になるのに
とても都合がいい筋書の気もするし


元出雲の出雲大神宮に近い
摂津の三島

ここの三島の人たちが
出雲が元出雲から勧請したときに
一緒に移住した人たちのようにも聞こえるけど

それならなぜ伊予や伊豆の三島や
摂津には三島姓の集団がいないのかーとか

そして島根に多い三島姓
とくに出雲市や松江のような沿岸部の集団が
岐阜の郡上市にも多いのは
出雲を離れて岐阜の山奥に
避難せざるをえない何かがあったからで
それが稲佐浜から入られた
国譲りの時の内戦によって起きただろうことが
考えられるわけで


国譲りによって
三島姓が逃げなければいけないのなら
もともとそこにいたのは
三島の人たちだったということになる




大山祇神社の謎7
まだまだ、沢山、謎はありますが、 最後に、 注連縄です。
・・・
そこで、 これらがどんな神社に祀られているといいますと、
右が太い所は、 その多くが、 「天津神」 
左側がふとい場合は、     「国津神」 となります。

そこで、大山祇神社はというと、 「左側が太くした形です」 大山祇神社以外に、これと同じ場所に、あの出雲大社があります。





女を巧みに使って想念を集めて
集合体の軸になる
物部の巫女が遊女なのと


一夫一妻制を厳格に守り
婚姻相手は初体験の相手と決まっていて
掟破りは絶対に許さなかったサンカ


サンカが出雲族の末裔だとしたら
物部の性質と大分違いますね~(笑



そしてサンカがそれほど男女関係に厳しかったのは
女性優位な文化だったというのもあるけど
(性行為は女性がしたいときにするものらしい)

因幡の白兎の伝説を想い浮かべると
白兎の後に国譲りが起きたわけで
よっぽど女で嫌なことがあったのかなーなんて想ったり


大国主はかなり異性関係が派手だった
もしその派手な女性関係が亡国の一因だとしたら
国の滅亡を招いていたとしたら


亡国の民の掟に異常なまでの?こだわりが生まる
原因になってたりして


物部が内側に巣食って女を使ったら
内部崩壊していくよね・・・

それが因幡の白兎かもしれないし





でもそれもおかしいかな・・・


大国主があんなに多情だったのに
出雲族の末裔のサンカが
生涯一人の相手だけという原則を
掟にしていたなんて


そんなルール一朝一夕にはできないと想うしね


となると
土着の出雲の文化と
大国主のような上層部の文化には
別の物がある  
大きな違いがあるということ?


歴史に現れる大国主の系譜も
後から入って来たもの

土着のものと開きがある

出雲の地を治めるために
やって来た人なのかもしれない?



そうね・・・
出雲がサンカのように
女性主体のシャーマニズムだったならば
大国主が前に出ているのはおかしな感じ

櫛名田姫が本当は卑弥呼のように
メインだったのではという説からすると

あちこち女がいた大国主って一体なんだったの
・・・っていう


大国主が元出雲から「出雲」を譲り受けたというのは
大国主も出雲から女主体のシャーマニズムが
消えるきっかけだったのかもしれない?


出雲のシャーマニズムが消えて行ったのは
出雲が「出雲」になってからかもしれない
ならばそれは大国主が葦原中津国平定で
高皇産霊尊に服従し
三穂津姫をあてがわれ
元伊勢で出雲を勧請させられた
その時から始まっている・・・



もしくは大国主の時代には
大国となった古代出雲は
古代ローマ帝国のように
堕落したり衰退していたりして
国力が弱まり「出雲」になった


それが後にまつろわぬ民になった
出雲のサンカが
掟を作り厳格にそれを実行した
理由なのかもしれない?




サンカのルールが古代出雲
大国主以前の出雲の姿だったならば
櫛名田姫のような巫女を中心とする
出雲シャーマニズムと
サンカの女性崇拝ともいえる
女性優位の文化は見事に一致する



そして因幡の白兎の伝説

それが物部の巫女遊女ならば

古代出雲の終わりは
遊女のような女によってもたらされたのかもしれない


それまで一夫一妻制で
初体験の相手以外とは交渉を持ってはいけない
そんなルールの下で平和に暮らしていた土着民に
半島から物部の遊女がやって来たなら・・・


確か白兎に出会った後からですよね?
大国主がいろんな女神と関係を持つようになるのって
それまでは一人の姫を争っていた


白兎を助けたおかげで
八上姫を手に入れることができた


なんで海の向こうからやって来た白兎に
そんな力があるのでしょうか?



白兎の伝説
和邇を騙して皮を剥がれた

和邇は水中生物だけど陸にも上がる
海の民出雲の土着民
漁師のような出雲族の暗喩だとしたら


和邇たちが白兎に騙された=裏切られたのは
サークルクラッシャー的な?

その時代の出雲の男女関係が
厳格なものだったならば
和邇たちが怒るのも無理はない?



白兎の力は
和邇の男たちの力を付け替えて
大国主に乗せたのかも?


白兎の力で大国主は持ち上げられて
そして滅ぼされた


出雲が滅ぼされたのも
自分の皮を剥いだ和邇たちへの
白兎の復讐だとしたら・・・?




スサノオが八重垣で櫛名田姫を囲ったり
大国主のラブアフェアが全国展開されたり
女神を中心とする体制が
遊女という存在が現れてから
崩れて行ったのかな・・・



国を終わらせ国を作らせるのも
男を繋ぐ遊女なのね



出雲の終わりは因幡の白兎から始まった
最初の直感に戻ってしまう


白兎が物部の巫女遊女なら


やっぱりその通りなのかもしれない


国津神の嫁を娶っている限り信用ならん
と言われて無理矢理三穂津姫を押し付けられた
大国主

この姫を置いて出雲に帰って
後から姫が追いかけて来たりするんだけど


白兎にしても三穂津姫にしても
どうも大国主に女難の相があるような・・・?

この神話にしても白兎伝説にしても
外から来た女によって大国主が堕ちていく
誰かが大国主を磊落しようとしていた
そんな意図が見えてしまう


天孫に押し付けられた嫁によって
後後出雲が墜ちていったとしても不思議じゃないし
















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