2015年4月25日土曜日

番外編:出雲と物部 7



> 偶然サンカ研究の方の八重垣の歌解釈というものが出てきました。
> http://www.interq.or.jp/www-user/fuushi/5-anc/5h-genngo/5h-genngo-a7.htm



彼らは、生活場所を転々と移動するため、浮浪者と間違われることが多いが、
明確な違いが幾つかある。
1つは、誇り高い古部族であると云うこと。
2つには、天の群雲の剣を写したという、ウメガイという両刃の山刀を持つこと。
3つには、グミ材で作られたテンジン(天人)と呼ぶ自在鉤を用いること。
4つには、ヤエガキという厳しい掟に従って暮らしていること。
などである。



掟の中に部族のことを他に漏らしてはならないと云うことがあり、長く世に知られることがなかった。
掟破りは、暗殺刑に処せられた。

サンカ文字は一葉の写真が残されただけで、「ア」等が欠けている。
(これを残す契機となったサンカの女性は直後に変死)

これまで、豊国文字、サンカ文字、天津文字などと便宜上記してきたが、
本来は、いずれも「神代文字」と呼ばれており、「母字」と当て字されることもある。



なんかまるで八咫烏のようなスパイ集団みたいですね
掟破りは処刑って
こっ怖い・・・   (-_-;)


でもそうまでしないと脅かされるような
危険があったのかな

そして強固な一夫一妻制に
秘密の言葉

この集団も血が濃くなりそうですね~



和歌の意味をまとめると、
 ヤクモタチ………多くの蜘蛛族がこれまで穴居を止めてきた
 イズモヤエガキ…穴から出るに際して掟を定めて守ってきた
 ツマゴメニ………妻を得て独立するに際して
 ヤエガキツクル…夫婦の掟を作り
 コノヤエガキヲ…古来の掟と共に守れ
と云う意味であると考えられるのである。



サンカの結婚式でスサノオの八重垣の歌が
唄われるとか

でも解釈は全く違う


かつて別稿で出雲の「八重垣神社」は古社ではないと記したことがある。
いかにも取って付けたような伝承、稲田比賣を隠した「佐久の森」とか「8種類の竹垣」等に他所との矛盾、胡散臭さを感じていた。今回、サンカ伝承からこの古歌の解釈を得、スッキリしつつ、かの神社縁起の胡散臭さを更に強めた次第である。



私も感じてました(笑


佐久といえば木花咲耶姫(木花之佐久夜毘売)
大山祇神の娘なのですが
同じくこの大山祇神の子である
足名椎命・手名椎命は
櫛名田姫のご両親です



コノハナサクヤヒメの中にある「サク=柵」
この名前は「柵の中の木の花」という
櫛名田姫の囲われるエピソードを想いだしますね

まあ普通は「夜に咲く木の花」と読むんでしょうけど


血縁関係もともに大山祇神の子孫なので
もしかしたら同じ人物か
同じイメージを投影されている女性・・・?


スサノオの子供に「青幡佐久佐日古命」というのがいて
八重垣神社は昔佐久佐神社と呼ばれていた
佐久は柵であり八重垣の垣でもあると想われ

八重垣神社の鎮座地


そして佐久といえば
長野県佐久市
浅間山の麓にあるのですが

ビルゲイツの別荘?があって
全寮制のインターを作ったのも
この浅間山山麓
佐久のお隣の軽井沢・・・




サンカが移動するに際し、袋を背負ってあるく姿をナムチと呼ぶ。
無論、大国主命(大己貴命)の袋を背負う姿を映したものである。
サンカというのは、かくまで出雲との関連が深いのである。

これまで国主・国栖(クス)・蜘蛛・土蜘蛛、等いずれも出雲族と記してきた。
今回サンカに言及するに際して、その認識は更に確たるものになっている。

サンカ(山家or三家)は東北、北海道はエドと呼び転場しない。エドは穢土の意味であろうか。
江戸も同意かも知れない。前者は気候が厳しく、後者は元来湿地帯で、野営に向かなかったのであろう。
とすれば、東北マタギは、別系の山の民と云うことになる。




氷室冴子が『銀金』で
サンカのモデルを出雲族にしたのも納得


氷川神社が出雲の神を祭っているように
出雲から埼玉に移住した人がたくさんいたようです
国造りのために連れて行かれたんでしょうが





サンカは過去記事でも何度か書いてます
本人がもう忘れてますけどw


最近見つけた資料では

サンカの人々の暮らし 1


こちらのブログで8まであります
長いです(笑

なので全部読んでませんが
とても貴重な資料です
タダで読めるのは本当ありがたいです


途中「出雲の砂鉄で作った・・・」とかありましたね

なぜか藤原という名前みたいですが


独自の言語があって
厳しい掟まで作って何百年も守って来たのに
近代化が進み徴兵制度・戸籍制度が始まって
昭和に入って差別が厳しくなってから
あっという間に「溶け込み」が始まって
解体されてしまったようです



サンカの人々の暮らし 8
その後、彼らがどうなったのか、いつどこへ消えていったのか。それは知りませんが、その時の話の中に、今はその日その日の生活に、大分困っている話。いまに日本が戦争にでも突入すれば、その時はまっさきに志願して、軍人にしてもらい、天晴れ日本人になってしまいたいが、どこにいっても一般人、一般の子供迄が、冷たい仕打ちをして、自分たちを悲しませている。先生なら、その先生になる人々に私らだって人間だということをよく解るように話して聞かせ置いてほしいと言っていました。そして今、何とかして「溶け込み」をしたいと思い、この地に「居つきたい」と、それぞれ苦心している。と言っていました。



生活苦もあるけど
一番大きいのは
差別されるようになったからじゃないかと想う


ナチスがユダヤ人よりもまず先に
ジプシーを収容所送りにしたように

軍国主義はまず流浪の民が狙われるんですよね


国という概念が薄いから





ジプシー民族になったサンカに魅かれるって
この国のアウトローの最たるものだし
ヤクザと違って善良な人々みたいだけど
掟破りは処刑ってヤクザに近いし
実際ヤクザ化した者もいるだろうし

・・・ヤバいな私と想うんだけど


この集団が文明化の波を受けずに
掟を守って山中で生きて来てくれたおかげで
古代の生きた情報がそのまま伝達されて
ずっと伝承されている
私はそこに魅かれているような気がする




サンカの人々の暮らし 3
出雲国の「火の川」という川の上流でとれるとかいう砂鉄を打って作ったものだと私共に威張ってみせて直径二寸位の枝を「タン」と音をたてる程に振り下ろすと一遍に截れてしまう。確かによう切れる奴に違いなかった。「やっ」といって投げると必ずその太い先の方が先になって「さされる」ということだ。「ににぎのみことさま、からのならわし」とも言って威張ってみた小父さんは本当に太い松の幹に投げて見せたりしたことがある。



ににぎのみこと  からのくに


こんなわらべ歌のフレーズが降りてきたんだけど

聞いたことない?















1 コメント:

ににぎのみこと  からのくに
なんでしょう?
白村江の戦いのぐちゃぐちゃとかかっているとか・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%9D%91%E6%B1%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
 いわゆる卵生創成神話だが、この話は何かに似ている。そうなのだ、天孫降臨っぽい物語になっている。日本のニニギにあたるのが駕洛の首露王である。このことからニニギノミコトの天孫降臨説話は、実は朝鮮半島からの転位であったという推理がさざまな研究者によって広げられていった。いまのところニニギが誰であるかはまったく同定できてはいないのだが、そういうことがおこっていたことは十分にありうることだろう。
http://1000ya.isis.ne.jp/1491.html
またパッと見リンクですみません・・・
 

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