2015年4月17日金曜日

番外編:出雲と物部 1



詳しいコメントを頂いたので
長くなるので記事にてご返答させて頂きます  m(_ _)m


> 八墓村の「八」は出雲を象徴しているのかなと思いました。
> ヤマタノオロチ 八雲 八重垣 八束など
> 「八」は出雲を象徴していると聞いたことがあったので。



> 神武天皇御即位のとき、御祭神(宇摩志麻遅命)は五十串を樹て、
> 韴霊剣・十種神宝を奉斎して天皇のために鎮魂宝寿を祈願されました。(鎮魂祭の起源)
>
> この鎮魂祭を古くから伝承し斎行しています神社は
> 奈良県石上神宮物部の鎮魂法)
> 新潟県弥彦神社(中臣の鎮魂法)
> 島根県物部神社物部・猿女の鎮魂法)
> の三社です。
> 特に物部神社の鎮魂祭は宮中において斎行される鎮魂祭に最も近いものです。
> ※ http://www.mononobe-jinja.jp/   より




八墓は出雲の八雲ですか。そうかもしれませんね。
となると「出雲の墓の村」ということになる・・・

八はヤハヴェやヤマトのヤでもあり
八百万の神とかやたら日本を表す言葉に出てきますね



日本の古代史の面倒くさい所は
勝った方が負けた方の名を名乗って
自分の名を敵に与えて封じたりする

そうすれば勝った方は敵に成りすまして
この島の土着の主のように想念に錯覚させられるし
負けた方は敵の名前を付けられることによって
封印されるんですよね

だから本当は日本を表す八は
八雲とか八重垣とか
出雲から来ているのかな


そしてもしかしたら
物部氏というのも
本当は出雲族の名だったりして。。。と想ったり
つまり出雲族は物部という名を盗られた
という妄想

本当は物部が出雲で
出雲が物部という名前だった?

そして出雲という名で封印されている


出雲族は製鉄民で
出雲の製鉄技術は優れたものだったから
古代日本で大国を築くことができたという

つまり鉄の技術で優れた「物」を作っていた
物部族だったんじゃないかなあと

そして出雲というのはいかにも天孫系
空からやって来て雲から出づる一族
渡来系の征服民っぽいんですよね


ただ古代日本に争いの種を持って来たのは
製鉄部族なので
島根にやってきた製鉄民が
どのような民族だったのかわからないですけども


物部氏が出雲滅亡後に
出雲の一族からその名を奪って
物部と名乗り始めたとしても
不思議じゃない気がする

そして古代史のサイトで
「物部氏は出雲族だった」という
記述をよく見かけるたびにええ~?
と混乱するんですが
こういう誤解?が生まれるのも
それが狙いだったのかなあと



ちなみに『八墓村』は
平家の落人の伝説だと想っていたら
室町時代に毛利氏に攻め入られた
出雲の尼子氏という落ち武者の伝説でした
テヘペロ

つまりもともと「出雲の落ち武者」の伝説が
ベースになっていて
まさに八墓村は出雲の墓のことで
出雲の尼子義久の弟で
尼子義孝を大将とした落人たち
という設定でした


横溝先生は岡山を舞台に
出雲の一族の伝説や怨念を描いていたんですね


そしてその怨念の対象を
なぜ「多治見」にしたのか
偶然とは想えない・・・




> 祭神・宇摩志麻遅命は勅命により、
> 天香具山命とともに物部氏の一族を率いて、
> 美濃、越国を平定し、石見国に入って死去したと伝えられ、
> 社殿背後の八百山の古墳は神墓であるという。
> また、播磨・丹波国を経て石見国へ入ったともいう。
>
> 当地には大規模な物部氏配下の部民である「物部」の集団があり、
> 古くから集落をなして、中央豪族たる物部氏の部民に編成され
> 貢租や労力を徴収されていたという。
>
> ※ http://www.genbu.net/data/iwami/mononobe_title.htm  より 



物部氏が美濃(多治見)に出兵して
征服していたのは確かなようですね

中部地方や中国地方を
物部氏は平定しまくっていたのですね


だとしたら私の妄想
建南方が多治見で助けを求めた時
そこに居たのは物部氏(後の平家)で
建御雷のに引き渡されたという仮説も
成り立つ可能性がある。。。



神武東征で長脛彦を殺したとする宇摩志麻遅命
ニギハヤヒから十種神宝を貰って
物部の祖になったと古事記にはあるのですね

そしてこの宇摩志麻遅命が石見で没したために
物部氏の祖は出雲族とかいう説が
流れてしまうのですね


知らなかったですが
「美濃」という名前が島根にもあったのですね
石見国美濃郡が


島根の斐伊川
岐阜の揖斐川

この二つの川に繋がりを感じていたけれど
島根にも岐阜にも美濃があったなんて

物部が平定後に付けたのかな?
多分同じ名前が出来るということは
同じところから来た人がいたんだと想う
人の移動を表している

物部の遠征ルートからすれば
岐阜の美濃の人たちが  石見の美濃に
連行されたのでは・・・?


関東にも西日本の地名がたくさんあって
だいたい上京してきた人たちが付けている
東久留米とか上福岡とか東長崎とか東松山とか
九州人がびっくりする(笑




> このあたりは、昔「石見いわみ国」、別称石州(せきしゅう)でした。
> 石見銀山を要しており、
> 昔から 奥出雲の鉄、石見の銀を巡って
> 領地争いが起きていたと思われます。
>
> 石見銀山=銀の洞窟
>
>
> 石見と出雲は、となりあわせなのに
> 食文化も方言もまったく異なっていて
> 石見はなぜか広島弁なんですね。

> 昔から、安芸(広島)とのつながりが強かったのだと思いますが
> 広島のとなり、岩国もほぼ広島弁(同じ文化圏)なんです。
> 以前、岩国と出雲のことに触れておられましたが
> なんか納得しました。
>
> (石見は出雲を見張っている、という表現をした人が、以前いたので)



石見というのがあるのは知りませんでした
聞いたことはありますが、地縁が全くないので、、、


ちなみに毛利氏と尼子氏は
石見銀山を巡って争いになったとか
よっぽど美味しいんでしょうね



岩国はギリ山口で
場所的にほとんど広島ですよね。。。


蚕の糸
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2014/12/971.html



そうか。出雲と石見
やっぱり二つの勢力があったんですね

まあ出雲を抑えないといけないので
千家以外にもあるはずだと想ってたのです


広島のヤクザとか山口の支配構造だとか
全部出雲に対してやぶ睨みというか
虚勢を張っているようにも見える

山陽はこんなに派手なのに
山陰はひっそりと静まり返っている

瀬戸内海の交易が主流になってから
仕方ないとは想いますが
古代史を調べるとそれだけではない気が



島根出身の芸能人で江角マキコがいますが
他に女芸人のニッチェの江上というのがいるんですが

私はこの二人を見るといつも恐いんですよ
脅されているような気がして

江角マキコのイメージはわかりやすいと想いますが
いつもドスを利かせている感じがちょっと
本人の性格というよりも
なんとなくいつも警戒心を怠らないような
隙のなさを感じるので

ニッチェの方も「埼玉のおばさん」というコントで
東京だと想っていたら埼玉のおばさんだったという
埼玉をバカにするネタをやってるのですが
なんでそれを島根のお前がやるんだっていうw
そのコントでの演技がすごい柄が悪くて
こりゃあ演技だけじゃないなって

本能的に獲物や奴隷を見つける嗅覚がないと
こういう差別的なネタはできないと想うんですよね

別にネタにするぐらいならいいんですけど
コントでの演技がただの演技に見えなかったんで
私はこの人はそういう血筋なんだと想いました


江角にしても江上にしても
この地域の「江」がつく名前は
出雲を見張っている一族のような気もする

さっき知ったのですが
出雲にも江南の地名があるんですね!

江の苗字はここから来ているのかな

そして江南は愛知の犬山市の隣にあるんですが
争いのある所  江南がある気がする。。。




星の封印と後ろの鬼
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2015/02/1050.html

過去記事調べていたら
江南から来た民族は
ポリネシア系の海洋民族だと
それが物部氏の祖だと神道系のような方が
書いてますけど


嘘くさーと想ってしまうのはなぜだろう

私が疑ってしまうのは
血を混ぜようとしたり
ルーツを混ぜようとしたり
成りすましてみたり
そういうのをずっと繰り返しているんですよね
支配者側は

だからたとえ「本当」だとしても
それは血を混ぜて成りすました結果では?
と想ってしまうのです





私の知っている島根の人は
本当にやさしくていい人なんですけど
一方で「江」の名を持つ
こんな恐ろしい女たちがいるのが不思議で
島根には二つの人種  二つのグループが
いるんじゃないかなと想ってました


石見といえば石ですし
石といえば物部
石を見るとはまさしく物部氏ですよね。。。














1 コメント:

侵略して成り済ます
信仰によって人のエネルギーを集める神々にとっては、効率のいいやり方のように感じます

人々の信仰が強い間は倒した神に成り済ましエネルギーを集め
信仰が弱まってきたら本格的に改宗させる

同一神と思われる存在を繋いでいくとグチャグチャになるのは
そういった理由があるのかも知れませんね
 

コメントを投稿