2015年2月15日日曜日

イニシエーション Ⅰ



軍司と祭司の物部の呪術について
面白いのを見つけた



神籠石
御所ヶ谷神籠石
神籠石(こうごいし)または神籠石式山城(こうごいししきやましろ)とは九州から瀬戸内地方にみられる、石垣で区画した列石遺跡を呼ぶ。現状「日本書紀」「続日本紀」に記載がない、遺構でしか存在を確認できない山城を指している。・・・神の依り代となる岩石のことを指す名称であったが





日本のストーンサークル・古代史のタブーに迫る
●神籠石列石とは一体何か?
福岡県久留米市の東方にある高良山高良大社には有名な古代の神籠石がある。

・・・何らかの仕切り石、境界線ともとれる単純な構造なのだ。

このあたりを考えていくと、九州の神籠石の機能目的は別のところにあったのかも知れないし、その構築時期についても定説よりはるかに古く、その時期は弥生時代まで遡るのではないかとも考えられる。もっと厳密にいえば、神籠石列石そのものは大和政権下ではなく、古代九州王朝が独自の風水によって構築したものであり、それも軍事的な一種の防衛ラインを想定した祭祀性の強い構造物ではなかったかと当方は想定している。


●古代風水術の影響を考える
古 代中国から伝わった風水自体は人工的構造物を適切に配置して、王城や居住地の地気、龍脈の流れを整える古代の高度な土木技術とされる。王朝の命運をも左右 するということで、風水術を実際に実施するには相当期間の準備作業が必要とされ、厳密かつ精緻な作業工程があった。現代人には理解できないであろうが、古 代の風水術は国事に直結した重要事項であった。

かって秦の始皇帝の時代、万里の長城を構築する際に誤って防衛ライン上の重要な大地の龍脈を破壊したため処刑された将軍がいたほどである。大地には地脈ともいうべき龍脈が走っていて、その流れを調整することによって磐石の王都防衛ラインを構築することが出来ると信じられていた。古代中国の歴代の王都建設には、すべてこの風水術が施されていた。大陸側と交流を持つ当時の為政者がそうした風水をまったく知らなかったとはいえまい。

風水術の発想からみれば、九州の神籠石列石群は重要な王宮などを守る防衛施設であった可能性が浮かび上がってくる。


●神籠石列石は誰が構築したのか?
神籠石と物部氏に何らかの関連性があるとすれば、軍事的構築物という意味合いがより強くなってくる。 物部氏族は古代の北部九州において、その発祥の足跡をはっきりと残している。 北部九州の各地にその伝承遺跡がいくつも残されていることからみても、その当時強大な勢力圏を持っていたことが浮かび上がってくる。



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(地図上の●は神籠石の所在地・■は新しい山城の所在地、1から16の各番号は古代物部氏族の根拠地を示す)
1.物部郷
2.物部布都神社
3.物部若宮神
4.筑紫聞物部
5.二田物部
6.二田物部
7.物部社
8.馬見物部
9.物部山国社
10.物部首古志売等
11.物部首猪手売
12.物部婢売
13.物部宿奈売
14.物部田中神
15.物部阿志賀野神
16.磯上物部神



神籠石の所在地と物部氏族の分布状況は、地図上で見る通りその位置関係が見事に合致している。ここでも古代の物部氏族と神籠石との関連性は、呪術や祭祀を通してより濃厚なものとなってくる。むしろ物部氏族特有の軍事と祭祀性を背景にして神籠石列石が構築された可能性が高くなってくる。列石そのものは、古代のは軍事上の防衛ラインであり、風水術による構造物であったということである。


●神籠石のさらなる祭祀性を問う
神籠石列石は、古代の呪術が信奉されていた時代の遺物であろうことは、容易に察しがつくところである。それは列石自体は古代のハードウェアであって、古代の呪術はソフトウェアという考え方である。ちらか一方が欠落すると、まったくその機能目的が成立しないというのが工学的な捉え方ということになる。肝心の古代のソフトウェアが分からなければ、どこまでいっても神籠石列石はただの石材でしかない。

古代の戦においても常に呪術は付きものであった。戦には、戦のための呪術があって、出陣の際の儀式として祭祀も行われた。これは後世の戦国時代であろうと、先の大戦の出陣式とて兵士らの戦意高揚の手立は同様である。戦地に赴く覚悟と戦意、大和魂の注入が必須なのである。 まず兵士の頭数と武具とがすべて揃ったとしても、すぐに戦士として一撃必殺の戦闘力が備わるわけではない。勇敢に戦う戦意が、まず必要なのだ。もとより、腑抜けには戦は出来ないということだ。

こうした呪術や古代のシャーマニズムを背景として考えていかないと、単純にはこの古代遺跡の謎は解けてはこない。戦時には、武人(もものふ)の体に武の気(鬼神)が憑くのである。武の気が憑いているから、武人には敵対する相手を怯むこと無く殺傷するという戦意や勇猛さが戦闘力として備わるわけである。この辺りの感覚は平和ボケのいまの現代人には分からないであろう。

平 常心の人間にはやたら人は殺せないし、いきなり戦闘開始状態にはなれないのである。どこかで頭のスイッチが切り替えられなくてはならないのである。異常な アドレナリン充満の状態か、平常心を失うか、狂気のもとでなければ命の遣り取りを強いられる戦場には臨めないであろう。今風にいえば軍事的、宗教的イニシ エーションで洗脳されるか、専門の徹底した軍事教練が必要ということである。現代の紛争地域の戦闘では、戦闘員に麻薬などの薬物も使われている。


●普遍的な古代呪術の背景を問う
「戦闘中は、兵隊はみな気違いになるとですよ。そげんならんと人は殺せんですよ」と、軍隊で壮絶な白兵戦の経験のある老人から何度も聞かされたことがある。多くのお年寄りと接する職業柄そうした戦時中の話を度々聞くのであるが、まさに鬼気迫る実体験ばかりである。戦闘中は、兵士はまさしく鬼と化していたということである。

ここで逆の展開としていえることは、奮 い立った武人も一旦その武の気(もののけ)が落ちてしまえば戦意はたちまち消え失せてしまうわけである。古代においてそうした軍事に付随したシャーマニズ ム、呪術があったことは否定できない。もののけを体に取り付かせたり、取り除いたりする戦時のシャーマニズムが古代世界には存在していたわけだ。取 りも直さずそれは、戦士も特定の神域に入れば、ものの気が落ちるという呪術も当たり前の事として信じられていた古代の一時期があったということである。そ うした祭祀性が背景にあったからこそ、呪術による大規模な神籠石列石が構築されたのだ。むしろこうした祭祀性がなかったのであれば、大規模に列石が構築さ れる理由もなかったのではないか。

神籠石の列石で囲まれた領域は、そうしたおぞましいものの気を落とす特殊な防衛ラインとしての神域なのである。一旦神域に踏み込めば、武人の体に憑いていたものの気が落ちてしまうという呪術特有の単純すぎる普遍的な考え方である。 それこそ古代の風水的、祭祀的防衛ラインそのものなのだ。

同じように古代中国では、「兵害を免れる」として、五月五日に五色の糸を肘に結ぶと「兵の鬼気(ものの気)を避ける」という道教的呪術があったことが知られている。 攻 め込んでくる敵兵には死神が憑いていて鬼気(ものの気)を帯びていると考えられた。そのようなとき身を守る呪術があれば敵には殺傷されることはないと信じ られていた。 兵禍を避けるには、前もって決まった時に決まったことを呪術として手順通りにやっておくことが必要とされていた。これが古代に通用した普遍的な呪術であり、古代の方術の基本的考え方なのだ。

これを古代の原始的な「呪能」信仰というのである。















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