2015年2月10日火曜日

イノシシのクッキー



縄文時代をオカルト的に考察してみる 1
http://kokuyouseki.blogspot.com/2011/10/60.html
何食べた?
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2013/04/460.html



今更感のある話題だけど
古代史を調べていて想うのは
今台頭している歴史修正主義者がいるのは
なにも現代史だけではないということ

極右のブロガーは古代史の造詣が深い人が多くて
天皇制の正当性を主張するために
その始まりである記紀などの神話の解釈は外せないからです

そして一般人が古代史や縄文時代を
学校で詳しく学ばないことをいいことに
「弥生と縄文は仲良く融合した」
「稲作は縄文人が大陸へ行って学びに行った」
「縄文人が自ら助けを求めて渡来人を列島に連れてきた」
などなど

ウルトラC級な解釈が・・・w


学者のような専門家にもいます
もともと「日本」という国に対する関心が高いからこそ
古代史の研究をしているわけで
血筋が多いと想うんですよね


そしてそれにカウンターを与えるような解釈や観点を持つ人は
東北出身の人が多い
大和に対する冷めた視線を持つ人たち


吉原遊郭の遊女がほとんど東北から連れてこられたとか
京都の遊郭の廓言葉が東北弁なのは出自を誤魔化すため
(いや普通に東北から来たからでしょ)
という裏歴史は  ヤマト側の人はほとんど触れない



まあ人それぞれいろんな考え方ができるかもしれませんが
矛盾は正さないといけませんよね?


私が疑問に想うのはウルトラCはすべて
その後の弥生や天皇制の正当性を主張するのに
「とても都合がいい」
ということです

征服や侵略は存在しなかった
そう胸を張って言うための
そのための説のような気がする 


でも本当にそうならば
なぜ徳川時代になっても「征夷大将軍」という最高位が
「蝦夷を征伐する」を意味するのでしょう?
家康が日光まで東北に対して結界を張ったのはなぜなんでしょう?
そこまで恐れたのはなぜでしょう?


仲良く平和に原住民と融合したなら
なぜ時の政権はこんなにも蝦夷を敵対視するのでしょう?


それは古代だけじゃなくて
明治維新や第二次大戦
現代までずっと続いていることです


エタヒニンや俘囚の多くが実は在日のような半島系ではなくて
東北から連れてこられた捕囚という事実


仲良く平和に融合したなら
なぜ国内で特定の地域の住人の奴隷化が起こるのでしょうか?

それは国の始まりが侵略と征服によって始まったからでしょう?
被征服民を奴隷化したからでしょう?



ゆとり世代の教科書には
縄文時代が削除されていましたし
縄文時代の遺物はろくに管理されていない
為政者がこの時代を
日本の原始時代のように軽んじて
あわよくば抹消したいのがよくわかる


そして教科書の教え方も縄文から弥生の変遷は
すんごい雑な扱いで
ほとんどの人は稲作とか古墳とかその程度

でも私が古代史を調べて感じるのは
稲作よりも製鉄文化の伝播の方が
よっぽど大きなショックをこの島に与えた


製鉄民族の歴史は
古代日本の民族を知るうえで欠かせない
でもそれを学ぶとどうしても製鉄民族として有名な
出雲の豪族を外せなくなってくる
侵略の歴史も露わになる


出雲の古代史に触れれば
古代の日本海文化圏に触れざるを得なくなってくる
そうなるとその中心に半島があるわけで
日本の始まりが半島との深い関係によるものだということを
明らかにしてしまう

どこにあるかわからない邪馬台国を持ってくることで
古代日本の始まりをぼんやりさせれば
出雲の歴史や阿波の存在を華麗にスルーすることができる




日本について弥生以降の神話や古代史に詳しい人が
稲作で縄文時代のことを語り出したり
仲良く融合していったとか言う人がいますが
縄文と弥生の変遷を稲作で語ること自体
縄文のことを知らない証拠       ( ̄-  ̄ )

弥生以後の神話や歴史に詳しくても
縄文時代のことはまだなのねと
私の中で逆フィルターがかかるのだ   フッ (* ̄- ̄)y─┛~~   
まだまだ甘いわ~!



この時代のことを調べたらまず
稲作より製鉄の話になるはずなのです
稲に関する物はほとんど残りませんけど
鉄に関する物は残ってますからね

そして縄文人に製鉄の文化はなかった
縄文文化に武器はなかったのだから
製鉄民族の後を追えば
どのように列島が変化して行ったかわかるものです

そして鉄の生産は大量の水と
火を扱う大量の労働力が必要になる
もののけ姫ですね


鉄は火を呼び争いを呼ぶ
鉄という武器を作る民族がやって来た時に
「平和的に融合した」というのはあり得ないですよ

古代の製鉄民の痕跡を追っていくと
鉄の産地を巡って争いばかりしているのがわかりますよ

そして私の言う縄文人の定義は
武器を持たず争いをしなかった民族ということです
それは南米征服前の原住民だとか
古くから地球上にいた民族です

その種の民族が虐殺され奴隷化され支配されていった
それがこの世界の歴史の始まりで
南米を見れば侵略の始まりがわかるというもの
それが武器を持たない縄文人に対しても
おそらく行われただろうというのが私の推測です


縄文エリアの東北は
雛型論だと南米に当たりますからね





戦闘意識のなかった縄文人を巻き込んで
渡来した製鉄民族がこの島で
かなり激しいドンパチをやっていた
それがこの国の始まりだと想ってる
出雲を含めてね


本当はもののけ姫のようなこの辺りの時代が
日本という国の醍醐味というか
さまざまなヒーローやヒールが登場する
戦国時代並みに面白いと想うんですよね

いわゆる県民性の雛型となる各地の豪族の物語は
この頃にあって
今の私たちの原点ですから


古代転生ファンタジー  『銀の海 金の大地』は
そこら辺をかなり面白く描いているんではないでしょうか



渡米人による侵略や征服はなかったという考えから
ウルトラCを持ちだすのは
歴史修正主義の一つだと私は想いますし
日本の暗部にすべて蓋をしながら
征服者の正当化神聖化に走っているのを見ると
調子こいてんじゃねーぞと想いますね      山 ((( ̄へ ̄#)


中東を見ればいまだに目の前でドンパチをやってるのに
歴史はそのオンパレードなのに
古代だけ平和に融合したとかありえないし


しかも稲作も製鉄も中東発祥なわけで
現代でも相変わらず血みどろの虐殺行為や
侵略を繰り返している中東を見れば
人類はずっと進化も変化もしていないし
ぐるぐるとずっと同じ歴史を繰り返しているだけ

その始まりとなった古代に
ましてや武器を持たない民族への稲作や製鉄の伝播が
穏やかなものじゃなかったのは簡単に想像がつく


もし平和裏に融合できたなら
東北の縄文を敵対視するはずもないし
縄文エリアも封印しない
出雲も祟らない




戦のような双方が武器を持って
スポーツのように戦う戦場での戦死では
末代まで祟るような祟りや怨みは起きないと想うのね
ケンカ両成敗  
勝負ならどちらかが負けるのは当然
それは死者の方もわかってる


無念の死を遂げた
戦で供養されなかった霊の霊障はあると想いますけどね
(-_-;)



それを末代まで祟るような  
家系を襲う怨みや怨念が生まれるのは
「それ以上のこと」をやっているからなのだと想うのですよ















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