2015年1月14日水曜日

翡翠の涙 2



出雲の国譲りは  アマテラスに派遣された建御雷神
出雲族の大国主に国譲りを迫り
息子の建御名方神がOKしたらいいよと言ったら
建御名方神との腕比べでいきなり
建御雷神が武器を持ちだしたので
建御名方神は諏訪へ逃げることになった


オブラートに包んで書いてあるけど
素手の戦いに武器を持ち込んだのは
正当な戦いじゃなかったと伺えるわけで
まあ卑怯だなと想う


そして古事記で建御名方神が
敗残する神と貶められているのは
古事記を編纂した藤原氏の家系が
建御名方神を祭る鹿島神宮の祭祀の家系であると
うぃきに解説してあるんだけども

実は出雲族を滅ぼしたのは
唐から来た藤原氏だという説があって


消された出雲王朝  6、出雲王朝の祟り
わが国を征服した唐王朝ですが、出雲王朝の人々を殺戮した後ろめたさからか、その祟りに恐れ慄いていたことも描かれています。・・・このように、わが国を支配下にした唐王朝・藤原氏ですが、出雲の『祟り』に怯えていたということ自体、加害者としての認識を持っていたことの証明でもあります。・・・出雲王朝の人々は、唐王朝による侵略を逃れて津軽へと逃避しました。それが出雲弁と津軽弁にイントネーションが共通している要因でもあります。
西暦663年11月18日(旧暦10月10日)、出雲の地にあった当時の都は、唐王朝によって滅ぼされ、その大国の王である大国主命を始め多くの人々が抹殺されました。



唐から来た藤原氏の先祖が出雲を滅ぼしたなら
古事記で貶められても仕方ない

そして遣唐使として唐に渡った空海によって
出雲の大国主の痕跡を消されたとしても


大国主が殺された時
その妻の沼河比売も殺されたはず・・・  (;;)
となると白馬の災害は出雲族の祟りでもある。。。



出雲弁と津軽弁って似ているのね
どんなもんかしらと調べてみたらなんと!

松本清張の『砂の器』にそのネタがあった!
そうか  あのネタはこのことだったのか!


本の落書き  松本清張「砂の器」
出雲の音韻が東北方言のものに類似していることは古来有名である。たとえば「ハ」行唇音の存在すること、「イエ」「シス」「チツ」の音の曖昧なること、「クゥ」音の存在すること、「シェ」音の優勢なることなどを数えることができる。(中略)。出雲は越後並びに東北地方と同じように、ズーズー弁が使われている。世にこれを「出雲弁」と出雲訛りあるいはズーズー弁と称えられて・・・(以下略)。
- 141p -



出雲弁と東北の方言が似ているというのが
『砂の器』で犯人探しの重要なトピックになっているのね

ああそうか。。。
松本清張は暗に出雲の国譲りのことも書いてたのね。。。
『砂の器』のメタファーは
国を追われた出雲族のことだったのね・・・


松本清張の作品はほかに『天城越え』でも
私に訴えてくるものがあったんだけど

天城の声が伝えるもの
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2012/11/278.html


『砂の器』の東北を漂流する乞食の親子のシーンも壮絶で
なんであんなに鬼気迫るものがあるのかと想ったら
出雲の祟りでもあったのかもしれない。。。

『妖怪人間ベム』考 2
http://kokuyouseki.blogspot.com/2011/12/109.html
流浪の民に郷愁を誘われるのは縄文の記憶のせいだろうか。多くの日本人の魂は、土地や村に縛り付けられ、結界を張られて封印されている。「砂の器」にも、らい病によって村を追われお遍路となって旅する親子を描いた壮絶なシーンがあって、近年になって何度もドラマ化されたり再放送されている。時代錯誤なこのシーンが、一番大きな見どころとなっていて観る者を強く引き付ける。神道系に「岡の因縁」という言葉があるほど、怨霊さんが色濃く息づいている岡山で、日本の因習にまつわるサスペンスを書き続けた松本清張の作品。


歴史上に藤原氏が登場するのは
北関東出身の中臣鎌足からだけども
それ以前に遣隋使や遣唐使があったように
唐の藤原氏と阿波の倭国は
協力関係を築いていたのかもしれない


奈良の都  正倉院とか
唐のものばかりだし
藤原氏が表舞台に登場するずっと前から
藤原の一族はこの島にやって来ていたのかも


8、列島に避難した唐王朝貴族
その支配者集団は、唐(藤)を源(原)とするという意味で、藤原氏を構成しました。当初は、屯田兵といったところから次第に勢力を拡大し、倭人を小作人として荘園で支配するようにもなります。



藤原氏が崇める建御雷神が出雲の国譲りで
出雲族の建御名方神と敵対したから
建御名方神が『古事記』で貶められたというよりも
実際藤原氏の先祖(建御雷神)が出雲を討伐したから
出雲を滅ぼしたから
敵の建御名方神を貶めていると読むべきかもしれない


血みどろの民族浄化を美しい神話にしているだけ


空海はそのことを知ってて
というよりその裏にいたのは出雲を植民地にした阿波なわけで
だから建御名方神の母の故郷  姫川に
糸魚川と名付けて封印したのかもしれない


リンク先の説の出雲が滅びたという663年は
白村江の戦いの年で百済が滅びた年でもある
中大兄皇子が参戦し藤原の祖の不比等が出てくる時代
随分最近だなと想う
唐王朝が出雲を滅ぼしたとなるとそうなるのね

この初唐と呼ばれる唐王朝の初めの時期で
唐は西へ領地を拡大していく
国際色豊かな唐は日本とは比較的良好な関係で
唐王朝が直接出雲を滅ぼしに日本に征服にやって来たとは考えにくい

それよりも国際交流のような感じで唐人(藤原氏の祖)が
列島にもたくさんやって来て
後に日本で力を持ち始め  出雲征伐の時に
大健闘したとかではないかと想う

そうやって少しずつこの島で勢力を大きくした
藤原氏は阿波が支配する西日本ではなく
阿波の支配が及ばない
北関東から東北にかけて勢力を拡大したように
西日本では阿波を立てて動いている
だから唐王朝がドンパチやって日本征服した
というのではなかったと想う


多分現在の日本と同じ国の乗っ取り方
いつの間にか大陸系の人口が増えて
いつの間にか一大勢力になって
いつの間にかこの島を支配している


歴史家が後から調べるとまるで征服したように見えるだろう
でも実際はもっと緩やかに進んで
後戻りできないくらい浸透する

現在の中国の情勢が怪しくなったら
日本にどんどん移民が流れてきそうだけど
同じように平安時代中期に唐が滅亡したとき
西からやって来た征服民から逃れるために
馴染みのあった日本に唐からたくさんの唐人が
流れて来たのではないかと想う
それによって藤原氏の勢力がより一層確かなものになった
  

となると未来予測では
藤原氏が蘇りつつある古代豪族の復権に抗うために
これから日本は藤原が大陸からの移民  自分たちの仲間を
どんどん増やしていく方向に行く気がする


調べてみると平安時代は400年近く続いたわけで
江戸時代の200年よりもずっと長く
ある一族の支配の時代といえば
他のどの時代よりも長く続いたといえる

私のオカルト的考察だと平安時代がこれだけ長く続いたのは
この時代の途中に唐が滅亡して
藤原氏のお仲間がたくさん日本にやって来たからではと想ったり






大国主は国譲り後に大物主として奉られた
この大物主が祭られている三輪山の大神神社に
去年の11月に天皇皇后両陛下が参拝に訪れている
ちなみに物部の剣の展示に訪れたのもこの時

調べると大神神社を訪れたのは11/17
白馬で大地震が起きたのが11/22

天皇陛下の動向を見ていると
結界を解いているようにしか見えないから
大神神社で大国主の封印を解いてしまった結果
沼河比売を娶った地で
大地震が起きてしまったのだろうか

いろんな思惑や動きが一つに重なった時
結界破綻は現象化するのかもしれない


出雲族の祟りが日本を襲おうとしていると
皇族は気づいているのかもしれない


311以降
大和が制圧してきたすべての民族の祟りが蘇っていて
皇族は率先してその祟りの封印を解除している

そして自分たちを持ち上げようとする勢力に
厄を祓っている



天皇を持ち上げていれば
日本は東京は安泰と信じている人がいるかどうかわからないけど

東京大空襲や関東大震災
火の海の中皇居だけは安全だったように
二度の原爆投下を事前に承知していたように
どんなに皇室を崇拝して持ち上げても
天皇家が守ってくれたことなんか一度もないのに

むしろ靖国のように天皇家を守るために命を差し出す
国民を守るのではなく日本を守るってそういうこと


これまでの天皇に例を見ないほど今上が祭祀に熱心なのも
自らの血筋を守るためで
自分たちは結界を解いて回っているとしたら
崇拝者たちは何を想うだろう


天皇家を持ち上げているのは旧家筋で
蘇る怨霊の盾にしようとしている
神輿に担がれまいと必死に祓う天皇家
出雲に嫁入りまでした
  
血筋の醜い争い  想念の世界の攻防戦が
激しく繰り広げられている


島根出身の錦織が世界的な大活躍をしている時点で
出雲の気が大きくなっているのは明らか
皇室はどう想っているのだろう


でもどう見ても錦織の系譜は
出雲を封印している岩国の錦の系譜なんだけどね



夢の中で錦織に襲われたり
出雲の国譲りの番組を観て猛烈に気分が悪くなったり
『砂の器』や『天城越え』に引っかかったり


出雲族と妙な縁を感じる




龍の目
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2014/01/681.html




糸魚川翡翠勾玉
ヒスイ2


この緑はとてもきれい
少し翡翠が好きになってきた


















2 コメント:

翡翠の事を少しでもお好きになって頂けて嬉しいです。
私も宝飾品に使われる緑色より、姫川の写真のような青緑色した翡翠が好きです。
(そっちの方がジュエリーとして価値が低く安いのです、綺麗なのに…)
 
姫川と言えば、源義経の妻(妾?)の静御前には一説には身投げしたとされていますが、その川の名前も姫川でしたね。(Wikiで確認したところ、北海道の姫川でしたので)土地自体は関係の無い場所ですが、鎌倉幕府の繁栄も〈姫川〉に生贄を出して被せた事由来だったりして……。と空恐ろしくなりました。

水色というか緑というかの石なら、パライバトルマリンも綺麗ですよね。(発光ダイオードの粒粒の信号になる前の)青信号みたいなネオンカラーには見とれてしまいます。
 

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