2015年1月1日木曜日

復活の日の赤いバラ



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大人になると   12月24日に   


クリスマスプレゼントを貰うけれど


子供たちへのサンタのプレゼントは   25日の朝よね


まるで子供みたいに   25日に私は


母親から   赤いバラの花束を


誕生日でもないのに貰ってしまった   


花や植木が好きなのは   母譲りで


とくに母は花が大好き


送られてきた花束に   オマケが付いていて


なぜか鳴門金時のオイモが入っていて


ギョッとしてしまった・・・





げっ・・・ 


阿波産の花・・・? 


トゲのある真っ赤なバラと共に   25日に


まるで刺客が送られてきたような


呪いを感じてしまった私・・・





母は急に何を想ったのか


誕生日は食べ物でお祝いしたから   クリスマスは花でお祝いとか


まるでこの日が私の   もう一つの誕生日のようにいう


けれどこっちは   一年で二度も年を取らされた気分で   


あまり素直に喜べない上に   阿波産だと知って


申し訳ないほど   テンションが下がってしまった






冬至の終わり   25日が   キリストの誕生日とされているのは


太陽が日差しを取り戻す   復活の日だからとか


その日になぜか祝われた   年の数の   赤いバラの花束と


鳴門金時は   何を意味するんだろう(笑


いい意味にも   悪い意味にも取れるような気がするけど


縁起の悪いことは考えずに


とりあえず   いい意味で取ってみるとすると


復活の日の   赤い血のバラは


血の復活と   そのお祝い


そして   鳴門は渦   想念の渦


金時は   金やゴールドのような現物と


時という   タイミング


想念の渦と  現物とタイミングが手に入った


私の血筋のお祝い


そんな意味で受け取れたら   こんなめでたい印はない


でもそれは   阿波からやって来た印だから


なにか一癖ありそうで


これが阿波から埼玉への   バトンタッチ・・・


なわけないか






金時ってなんで金時って言うんだろうって


調べてみたら


顔の赤い人のことを   金時というらしく


小豆とか   皮の赤い  川越芋のような品種を


総じて金時というらしい





206 :陽 :2014/12/25(木) 01:29:15
巨大蜘蛛を食べる夢の翌日の昨日のあめは
うろ覚えですが・・・

ニヤニヤした丸い赤ら顔で目が横長に大きい
不快な男か女かわからない
けど近づいてきて何か言ってきて
わたしが強く拒否しながら「死ね!!」って怒鳴りつけている・・
というような内容で
起きた時になぜか気持ちがスッキリしていたのと
あんな凄いことばを言っちゃっちゃうんだ自分は・・と
驚いたのとその汚い言葉を言った自己嫌悪と
なんだか複雑な感じでした




赤ら顔と   横長に大きい目は  芋のよう


鳴門金時は呪いだったりして


どうりであまり嬉しくなくて   なぜか心から喜べなかった


金時食べちゃったし


呪いじゃなくても   25日に向けて


赤ら顔のシンボルが   夢に現れたり   


現実に現れたりしているのは


25日に   阿波に繋がる何か   赤ら顔の


もしかしたら赤鬼のようなものが   サンタのフリして


現れたのかもしれない





金時は   川越芋のことを指すらしく


阿波から埼玉へ送られてきた   鳴門金時は


阿波から埼玉への   バトンタッチか   宣戦布告か


鳴門の渦が   想念の渦が   埼玉にやって来たりして?


次のクーデターは埼玉?


さいたまに霧が   やって来たものね


さいたまでインフルエンザが   流行っているらしいね






赤いのに   金時っていうなんて   不思議よね


それは   小豆で作るあんこのおはぎが


春分や秋分


お供えの行事に使われるように


赤いのに   金というのは   時というのは   


それが金になる   タイミングをくれる


そんな意味が込められていると想うのよ  








25日の   赤いバラのプレゼントが   


まるで陰陽のように   いい暗示にも   いやな暗示にも取れるのは


それは呪いがエネルギーを持ってくるのと   同じ意味で


血筋が何千年もの間   怨まれながら


富を手にしてきたのも


怨霊のエネルギーを   手に入れることができたから


それを富に変換する術を   持っていたから


怨霊封じ   怨霊信仰


それが富の源泉だから


だから定期的に   富を手に入れるために


大きな犠牲を欲する





阿波からやって来た   金時は


赤ら顔の赤鬼は


阿波の怨霊が   解放されてしまったのかな


それが埼玉まで   やって来て


誰かの夢に   やって来たのかな





この前アイヌの馬の夢を見たけれど


埼玉の馬の夢は   青い馬と   赤い馬だった


青は最近の   青石とシンクロするなら


金時の赤は   赤い馬のことかもしれない


青と赤のシンボル   青い馬と赤い馬が揃った


さいたまの   カードが揃った





赤い花と   赤い芋


それが解放された怨霊のことなのか


阿波から放たれた   古代の製鉄民族   赤鬼の


征服者の呪いなのか   まだわからないけれど  


多分その両方かもしれない






青い馬
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2013/01/332.html
今年も終わろうとする   数日前に
また   馬の夢を見た

実家の家の   二階の部屋   
窓の外に   大きな青い馬が   まるで龍のように
巨大な馬が   遠くから   駆け上ってくるのが見える
それは   だんだん   近づいてきて
まるで  私の家は   飛行場の近くに住む家のように
大きな飛行機のような   青い馬が
空を飛んで   向かってきた
強い風と共に
馬が上空を   通り過ぎたとき
窓から   馬の腹が見えて
私は
おおおおおぉぉぉぉぉ~~~~~!!!
と   感動していた
なのに   馬の姿が見えたのは
私だけで
どうして見えないの!?
驚いて家族に   話した
そうしたら今度は   赤い何かが
同じように   遠くの方からやって来るんだけど

それが何物なのか   よくわからなかった
ただ   その赤い物だけは
家族にも見えたようだった





2012年のクリスマスの後に見た夢
家族には見えた赤い馬は  
母から送られた赤いバラ  鳴門金時


この夢は2014年のクリスマスに対応しているっぽい









念のために   恐る恐る   悪い暗示についても   


触れておこう



25日は   キリストの誕生日


主の誕生の日に送られた   赤いバラと   食物は


仏壇や祭壇に捧げるのに   ふさわしく


まるで私を生贄に   捧げたよう   葬むられたかのよう


赤いバラだけなら   ここまで嫌な想像はしないけれど


バラと一緒に入っていた   阿波の赤い鳴門金時は


まるで祭壇に飾ってくれといわんばかり


多分ね   本当はこれが意図されていたんだと想う


バラだけなら   再誕のお祝いだった


鳴門金時じゃなかったら   お供えの印だった


でもね   鳴門金時だったことが   印を反転させている


それは冬至の日に夢殿東京駅に   


たくさんのエネルギーを集めようとしたら   


東京駅模型の破壊という  


意味を反転させてしまう印が入ったように


今呪いをかけても   それを反転させてしまう印が入る


想念の渦と   現物とタイミングを手に入れた


それはエネルギーが逆流している   


回収が始まっているから   その印が現れる


そうやって事象は   相転移していく






情報量が増えるほど   情報を整理することも学ばなければ


情報の波に呑まれてしまう


たとえば私が   天空の城のラピュタの   シータの物語を


夢の中で見たとして


皆既月食の日に   竹取物語の幻想を   見たとして


その物語の中に   自分を埋め込んでしまったら


その主人公に   なってしまったら


情報に呑まれただけに過ぎないと想う




人類の集合意識の底には   神話や古代の地域伝承


たくさんの物語が   あふれんばかりに流れているのだから


夢や幻想を通して   潜在意識の世界にアクセスするほど


夢の世界とのパイプが増えるほど   その物語の暗示が頻繁に


自分の元に現れてくる


シンクロしていく


だから自分がその生まれ変わりだとか   想いやすいのよね 


でもそこに自分を埋め込んでしまったら   成りきってしまったら


その物語に   自分自身を預けてしまうことになる


せっかく世界の仕組みを覗いたのに   


そこに自分を当てはめてしまったら


それこそ設計者の   想う壺


だから夢や現実で   見えない世界とのパイプが増えるほど


その物語に呑み込まれない   冷静さが必要になってくる






輪るピングドラムは   オウムの事件をベースに


新たな物語を作っているでしょう?


あれはもう   オウムの事件が   神話化している証なの


そうやってね   悲惨な事件


生贄を捧げられた事件   悲劇は


やがてまた別の物語を生む   ベースになって   


パワーになってるの   


そうやってね   繰り返すの


殺された人たちの   生き続けたい想いが


神話となって蘇り   神話になって残っていく

















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