2014年12月17日水曜日

祭壇の蜜に群がる蜂


幼稚なヒロイズム&責任のない善意  碧い世界さんより

内田樹氏のブログ
週刊プレイボーイインタビュー記事

全文は上で

内田氏は1950年生まれだそうだが、このインタビュー記事の前半で


父親たちの世代、「戦中派」には「戦争経験について語らない」という一種「暗黙の了解」のようなものがあったように思います。
戦地で実際に行なわれたことや見たことについては子どもたちには語らない。
もとは「善意」から出たことだと思います。
「戦争がどれほど醜悪で過酷なものか、自分たちがどれほど残酷で非情だったか、そういうことは子供たちには伝えまい。無言で墓場まで持って行こう。
子供たちは無垢な戦後民主主義の申し子として未来の日本を担って欲しい」そういう思いだったのではないかと思います。
だから「黙して語らず」を貫いたのだと思います。

しかし、そのせいで「戦争の記憶」は次世代に語り継がず、僕たち世代は戦争を「済んだこと、早く忘れるべきこと」として、戦争について深く踏み込んで総括する機会を逸してしまった。
そのことの負の側面が、現代日本の足腰を致命的に劣化させている、そう感じます。


最も顕著なのは「歴史修正主義」の登場でしょう。
これは日本に限らず、ドイツやフランスでも同じなのですが、戦争経験者世代が社会の第一線から退場しはじめると、どこでも「歴史修正主義者」が現れます。
彼らは歴史の「生き証人」がいなくなった頃を見計らって登場します。
「戦中派の沈黙」ゆえに戦争の記憶が伝えられなかった戦後日本では、とりわけ歴史修正主義は暴威をふるいました。
現場を見た生身の人間がいなくなった頃になって、断片的な文書だけに基づいて、戦争について言いたい放題の「事実」を語り出した。
従軍慰安婦の問題にしても、実際に戦地で慰安所に通っていた兵隊たちが生きていた間は「強制性はなかった」「軍は関与していない」などということをうるさく言い立てる人間はいなかった。
慰安婦がどういう制度であるかを誰でも知っていたからです。
証人たちがいなくなった頃になってはじめて「慰安婦問題は捏造だ」と言い出した。
ヨーロッパにも「極右」の政治家はいますけれど、安倍晋三のような極右が総理大臣になれたのは世界で日本だけでしょう。





50歳半ば今の私は、軍人ののちに自衛隊員になった父(大正12年生まれ)
軍人の娘として釜山で生まれた母が、いかに精神的に未熟で幼稚であったかを認識した。
自分自身の問題をすべて子どもに押し付けて生きてきた父母
戦争について私には一切語ることなく86歳で逝った父。
3つ違いの弟には「なんであんなこと(戦争)したんだろうな~」と言ったという。
しかしたったそれだけ、たったそれだけである。

母も戦争の事、自分の子ども時代の一切を語ることはない。
自分の立場が悪くなるようなことからはさっと逃げ、謝ることは絶対ない。
立場が上の男の人から強く言われるとおどおどする。


私はなぜ、戦争について語らなかったのかは、
明治時代からの軍国主義・絶対主義・強権主義・儒教的封建制度などにより、
精神が大人に成熟できなかった人々が多かったのでないかと考える。


自分が経験した辛いこと・哀しいこと・そして自分の罪を語るのは非常に勇気がいることである。
幼児期から怖れを植え付けられて育った軍国少年・軍国少女が、
自分や周囲に起こった残酷な現実を
受け入れるのは相当に困難なことだったのではないだろうか。

故に忘却を選択する。
なかったことにする。
それを心理学的には防衛機制という。

そして皮肉なことにおそらく、ファシズムや全体主義・北朝鮮の指導者たちも
不遇な子ども時代を経験した精神が成熟していない身体だけが大人で
中味はオドオドして今にも泣き出しそうな子どものような心の持ち主だと思う。
実際、ヒットラーは虐待されて育ったという。

だから批判されれば神殿が起こす癇癪のように強烈に怒る。
自分の中の恐怖心を喚起するようなものは徹底的にたたく。

そうやって忌まわしい現実・都合の悪い真実を隠し、忘れ去る。
日本の歴史の最初はよくわからん(美しい??)神話だが、
それも歴史修正主義のなせることだろう。


美化し忘却する 一番楽なようで、無間地獄でしょう。





日本の歴史修正主義者は記紀のような
日本の神話も大好きなんだよね
同じことしているせいかもね
中には半島のスパイだったり


私がどうしても記紀をラノベだと想ってしまうのは
書かれた年代が遅すぎるのですよ
7世紀ですよ?


いろんな国の神話を繋ぎ合わせて
コピー&ペーストしても不思議じゃないし
後から修正したんだろうなーと想います









週刊プレイボーイインタビュー記事  内田樹の研究室


―――近い将来、この国が「戦争」に巻き込まれる可能性はあるのでしょうか?

内田 現実的にはあり得ないと思います。安倍さんや石破さんは日本を「戦争の出来る国」にしようとしていますけれど、本気で戦争になるとは思っていません。一体どこと戦争するんです?
韓国には米韓相互防衛条約があります。今も韓国軍の戦時作戦統制権を持っているのは在韓米軍司令官です。日本と韓国が戦争するということはアメリカと戦争するということです。そんな覚悟がある人がいますか?
日中が戦争することをアメリカは全く望んでいません。
日 本と中国が例えば尖閣問題で軍事衝突を起した場合、日本人は安保条約に基づく米軍の出動を期待しますが、アメリカは中国と戦争する気なんかない。だから、 調停は試みるでしょうけれど、同盟軍として中国と戦うことはない。だから、何としても軍事的衝突そのものを事前に抑え込もうとする。
日本で対中国で好戦的な発言をしている人たちは、うしろから羽交い締めにされている酔っ払いが怒号しているようなものです。止めてもらえると思って安心しているので、威勢の良いことを言っていられるのです。
そもそも、安倍さんも石破さんも、今の日本の政治家に実際の戦争を指揮できるだけの基礎的な能力がありません。
戦 争というのは国の根幹に関わる死活問題ですから50年後、100年後のこの国をどうするのかという長期的なヴィジョンがなくてはすまされない。ところが 「領土」や「国威」にこだわるナショナリストたちの発想は、市場でのシェアを競争しているビジネスマンと同一の発想しかしていない。自分たちの「シェア」 が増えたか減ったか、そういう二次元的な、空間的な数値の変化しか見ていない。経済戦争とほんとうの戦争を同じものだと思っている。株式会社の経営者の発 想です。ビジネスマンに戦争ができるはずがない。

――つまり、本気で戦争をする気も、またその能力もない人たちが、この国を「戦争ができる国」にしようとしていると? 

彼らは戦争の生き証人である「戦中派」の退場を狙って、あるいは「語られなかった歴史」の断絶を利用して、知りもしない戦争を語り、自己都合で書き換えた歴史を信じさせようとしている。そして、その目的が国益の増大ではなく、私的利益の増大であることが問題なのです。

安倍さんたちが目指しているのは、北朝鮮とシンガポールを合わせたような国だと思います。
政治的には北朝鮮がモデルです。市民に政治的自由がなく、強権的な支配体制で、自前の核戦力があって国際社会に対して強面ができる国になりたいと思っている。
経済的な理想はシンガポールでしょう。国家目標が経済成長で、あらゆる社会制度が金儲けしやすいように設計されている国にしたい。





戦争ができる国になったら
戦争するつもりがなくても戦争してしまうこともあると想う


明治維新だって最初から戦争するつもりで富国強兵したわけじゃなく
文明開化で欧米に追い付け追い越せで富国強兵したら
戦争もできるようになった
結果戦争へ  という感じがする



同じ流れ?



原発事故で誰一人訴追されることもなく
責任を負わない現状をみると
太平洋戦争に関しても同じだったんだろうなと想う


東電が責任を取らないのは
まああれがテロの可能性もあるという情けもあるけれど
結果的にいまだに「同じ位置」にいますよね

住む所を奪われ病の危険に晒されている人からしたら
東電側に死人が出てもおかしくないのに


解体されるわけでもなく  電気料金を平気で上げる



あの時天皇制が終わってたら  
やらかしたことの重大さを日本人は二度と忘れられないはずで

東電が責任を取っていたら
原発フォロワーも消えるはず
そして次の段階に進める



こう考えていくとね
原発支持者は皇室支持者になるし
皇室崇拝者は原発崇拝者になる


原発が古代に因縁のある土地に建てられ
封印になってるからでしょうね


だから原発事故も責任を取らなくても許される
その権力の甘さに魅せられている


祭壇の蜜に群がる蜂のよう




原発は封印だからね  どんなに危険でも再稼働してもらわなくては困る
封印が解けてしまうから

他のエネルギーじゃ嫌なんですよ
原発には原爆による恐怖体験が日本人に染みついているから

深い所で日本人のトラウマになってるから  
それが日本人を心理的に抑圧する
封印になる







日本のアキレス腱
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2013/04/476.html




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