2014年12月9日火曜日

四国の山と北の海



大月と四国の黒い森 2
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2012/12/308.html
想念が集う場所


四国に来た”古代ユダヤ人”
東北地方には、縄文時代中期に作られたストーンサークルが各地に存在し、さらにそれと関係する巨石遺構も残る。・・・阿波忌部氏もメンヒル(立石)やドルメン(巨石)を造り、それを各地に配置したと聞いて、東北の鉱山技術の民に繋がる何かがあるのではないかと感じた。・・・メンヒルは、忌部の里全体では1000基以上も確認されているという。

四国・剣山の秘密
宇野正美によると多民族から成る日本でも縄文時代には、阿波のユダヤ人国家は、有力な勢力で、四国の阿波から丹波・但馬・丹後にかけて勢力をはっていたので、やがて、中国系の弥生人により日本の統一が行われたときに、原日本人とでもいうべき縄文人を支配するためにユダヤ人国家の王を天皇として担ぎ日本の統一が行われたのが、日本建国の真相であるというのです。


以下同サイトより追加


日本書紀に出てくるイザナギ・イザナギは、イザヤ夫婦のことを指しとのことです。最初に出来たとされる淡路島は、あくまでも阿波への路の島、であり阿波にたどり着いたことを示すといいます。
 阿波に住居を構えて研究をすすめている大杉隆は、阿波こそ、日本建国の地であり、日本書紀や古事記に出てくる、天孫降臨の地や、イザナギ・イザナミ尊のいた高天原や、豊葦原中つ国もすべて阿波つまり徳島県内にあるとのことです。
200基以上の古墳が集中しており、最古の前方後円墳もこの阿波地方にあるとのことです。・・・その他建国の地を示す神社が阿波一帯に多数あるとのことです。


飛鳥時代、奈良時代の日本は、シルクロードを通じて世界の人々が行き来していました。天皇家の秘宝である「契約の箱」を、中国人に、略奪されたないために、阿波の対岸の紀伊半島や奈良に阿波にある地名とそっくりな地名をつくり、本当の建国の地がわからないようにしたのではないかということです。

倭の国の中心つまり豊葦原の中つ国のあった阿波の吉野川流域を隠すために、吉野川、那賀郡、倭つまり大和そのものも現在の奈良県に造りました。万葉集にある天の香具山をはじめとする地名も本来は阿波にあるのですが大和付近に同じ名前の山を造りました。





中国人に限らず
島国には渡来人があちこちからやって来るわけで
外敵から守るためにダミーを作ったのと
地名が全国各地に移植されたパターンを見ると
単に征服の痕跡を残しているようにも想う

同じ地名のパターンを各地に当てはめることで
その地を支配しやすくするんだと想う

雛型が四国にあれば  それが基点となって
各地を地名によって繋げやすい
名は呪いだから


東京の神田川が四国の吉野川を模しているように
基点のパターンと同じ街が出来上がれば
血筋が集まる場所も自ずと決まってくるし
逆にその他大勢を集めて囲う場所も決まってくる
同じ地名があれば征服者の血筋は潜在意識で反応する

棲み分けは想念の世界で起きているから
現実でも高級住宅地と下町の住み分けが起きる




弘法大師空海は、全てのことを知った上で、この阿波の秘密、特に、剣山の秘密を隠すために、八十八カ所のお遍路のコースを設定したのではないかいう節がみられるとのことです。つまり、建国の地をぐるっと回りながら、そこをさけ、さらにどこからも剣山が見えないようにコース設定がされているのです。
 古代国家の造った官道もまた、建国の地である吉野川沿いをさけて設定されているとのことです。
宇野正美によりますと、古代イスラエルの祭司階級であるレビ族は、神殿に仕える役割をもった高貴な人々でしたが、神に祈りを捧げるときに、犠牲の牛を屠る燔祭の儀式に携わっていたが故に、仏教が国家の支配者の宗教となることにより、逆に賤民として隔離され、現在にいたっている人々もいるといいます。
 もっとも一部は天皇家の側近として貴族の地位を保った人々もいたようです。忌部氏などがそうです。



諏訪大社の本宮は阿波にある
諏訪大社が獣を奉ってたのは有名



東祖谷村には、栗枝渡八幡宮があります。壇ノ浦で滅んだ平家の推戴した安徳天皇は、壇ノ浦で海の藻屑となったのではなく、東祖谷村に逃れ、1186年この地で崩御し、八幡宮に祭ったとされていますが、このためもと栗須戸(クリスト)といったのを栗枝渡と改めたとあります。クリスト神社が元々あったのではないかと想像させます。クリストというのは、日本語でキリストということで、イスラエル民族が待ち望んだメシア(救世主)を意味する言葉です。この栗枝渡神社と剣山との関係は深く、修験道盛んなころは、両方に参拝しないと意味がないとされていたようで、大変な人でにぎわっていたとのことです。こ の神社のはっぴは、菊の紋ですし、神輿もありますが、契約の箱とほぼ同じ大きさであることが、写真からわかります。この神社のはっぴには、鮮やかな菊の紋 が染め抜かれています。エルサレムのヘロデ紋にも菊花紋があります。皇室由来の菊花紋なのか、エルサレム由来に菊花紋か興味のある所です。また、もう一つ の天皇家の紋である「五七の桐の紋」は、失われたイスラエルの十支族の一つガド族の紋である、三張りの宿営(テント)を表すのではないかともいわれていま す。この場合、ガド族の族長が、天皇になったことになります。天皇の別名である「帝(みかど)」は、敬称をあらわす「御(ミ)」+ガド族をあらわす「ガド (カド)」で「ミカド」となったというのです。



平家が四国に逃げ込めたのは
平家は四国から派生したのかもしれない
余所者が簡単に逃げ込める場所ではないと想う・・・
しかも剣山の近くに

栗須戸神社が栗枝渡神社に改名したり
手厚くもてなされている感もある



落人集落
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2011/10/57.html
徳島県三好市東祖谷阿佐(旧・三好郡東祖谷山村阿佐)



木屋平村の三木家は、阿波の忌部家の子孫といわれていますが、天皇が即位するときに行われる大嘗祭で使用される「アラタエ(麁服 )」という衣装は、この三木家で織られたものしか使用できないことになっています。三木家は南北朝の動乱で、南朝方について、敗北し没落して中断していたものを、大正天皇の大嘗祭から復活したといいます。




大嘗祭の「三種の御膳」の「天都御膳(あまつみけ)」も
阿波の木綿山のものだし
衣装も三木家限定の品


大正天皇から三木家の皇室との付き合いが
数百年ぶりに復活した

国家神道の神格化のためかな


明治維新って龍馬だったり岩崎家だったり
薩長だけじゃなく四国の血筋も噛んでいることを
忘れてはいけない




天皇家ってあんまり四国に行かないよね
私の気のせいかもしれないけど


避けているというのではなく
行くことで四国に注目が集まるのを遠慮しているような


皇室の行幸はもはや結界解きで
どーでもいい所はじゃんじゃん行ってる感じw


栃木群馬埼玉島根とか


ちなみに阿波の末裔三木家のある木屋平村は
今回の大雪で孤立しています


雪が水分を多く含んでいて倒木が多くて
電気の復旧が進まない
故障箇所は200ヶ所に及ぶとか






天皇皇后両陛下が私的旅行の訪問先に青森県を選ばれた理由は
天皇陛下が80才を迎えられた昨年から始まった両陛下の私的旅行。今年の秋、両陛下がその旅行先に選ばれたのは青森県だった。「両陛下は9月24日から1泊2日のご日程で青森県を訪問されます。八戸市では魚市場や種差(たねさし)海岸に足を運ばれ、青森市では、地元のりんご生産農家と面談の予定です」



青森に行ってたんだ
今年の夏やけに青森が気になって
ニュースも多かった


青森の馬
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2014/07/811.html
青い森の扉
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2014/08/834.html


4/29の南極の金環日食のリアルタイムに
青森で現代美術家が作品の中で死ぬという
事故も起きていたからね

車を展示したそのガラスケースの中で排気ガスで亡くなった
車はトヨタのことかな・・・



想えば今年の5/20に両陛下は群馬栃木に行ってたわけで
その後中之条町の小渕スキャンダルが発覚した

藤原の地を回ってたわけね


結界解いてますねぇ~



八戸市は三沢基地に近い


門司港
http://kokuyouseki.blogspot.jp/2014/07/824.html
あー青森にもあるんだー
なんであんな所に?
と想って調べてみると
三沢基地は  本州のコードを束ねる
下北半島の付け根にあって
かつ国道4号線という  日本で最長で
最古の東北の道も
そこに向かって伸びていて

米軍基地がまるで日本のツボを押さえるように
立っている気がした

ちなみに核処理施設がある六ヶ所村も
三沢基地の少し北にあって
下北半島の首に位置する
本当に絶妙な場所に基地や原発が立てられていると
原発は古代史の因縁がある場所に作られているという説も
まんざら嘘でもないような

三沢市の西  青森市の南には
八甲田山があって
最近ここの無人の別荘から110番通報があったという
騒ぎがあった

私が気にしているせいかもしれないけど
青森に少しずつ異変が現れているような
それは日本全体への変化のシグナル





そういえば北海道沖で
魚が大量に水揚げされたりして荒れだしたのは
御嶽山噴火の後からだったけど
両陛下のご訪問のせいだったりしてw


八戸は北海道の浦河沖を望む場所にある
種差海岸を訪れて海を臨んだのは
震災で八戸港の被害が大きかったからだけど
この地の「海」を見に行ったのではないかと想う

















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