2014年11月6日木曜日

ブレイクスルー



人類は宇宙へは行けないし、異星人たちも地球には来られないことを悟る中、人々から「神の存在が消えていっている」ことも知る
今の時代というのは、かなり多くの人びとが、「神や天使を捨てて、エイリアンや UFO に信仰を求めている時代」となっているということになります。

たとえば、大昔は、どこの国や地域でも空を見上げた人々は、そこに神の存在を考えたと思われます。
しかし、今、空から神は消えつつあり、空を眺めて思うのはエイリアンと UFO という時代となっています。
そして、このように「この世から神という概念を消したいと考えている存在」というものは確かにあると私は思っています。




フランシスコ法王が 300 人からなる悪魔払い師の団体「国際エクソシスト協会」をパチカンの組織として正式に支持することを表明
「善は、悪から生じる」ということさえ言っています。なので、本来はキリスト教においてでさえ「悪は必要なものだったはず」だと私は考えています。

このあたりは、日月神示にも何カ所か出てきます。・・・「悪という存在への愛着とねぎらい」さえ語られています。これを言っている(のが誰か私はよくわからないですが)方は、「悪は可愛い。ご苦労であった」と、悪という存在の必要性を神か何かの言葉として記述しているわけです。

このあたりから考えますと、悪を憎み、悪を「根絶」することは、同時にこの世から「善を根絶する」ことでもあるという、何とも逆説的ながら、最近ではその理屈もわからないではないというような気もしています。

そういう意味では、「悪魔の大根絶作戦」を宣言したバチカン、およびローマ法王は、同時に、それが「善という存在の駆逐を意味する」ということを、知らずか知ってはわからないですが、そのような宣言だったと言えそうです。





藤原から児玉について書いている最近の流れのせいで

日月神示は「児玉は可愛い」と言っているように聞こえる私


悪は善から生まれるというのは  
善も悪を生んでいると言っているわけで

世の中の有象無象をこの二元論に当てはめて
対立させる


対立は分断を生み  やがて争いを生んでいく


悪魔さんのおかげで神様は光り輝けるわけで
その意味でも悪魔さんご苦労であった
ということなんでしょうか


世間の人が神を信じなくなって 神の存在が希薄になってきたので
今度は悪魔を立てに来たのかな


神がいないなら悪魔もいないはずですよね?

神はいないと言うのに  なぜ悪魔はいると言うのかしら?



神がいなくなれば悪魔もいなくなるのだから


それでいいと想う







悪を憎むなといいますが



私は悪を憎みますよ


なぜって?



覚醒の始まりは   取り返しから始まるのですよ


取られたエネルギーが戻ってきて初めて   


直感や霊能力が戻ってくるのですよ


憎しみは   取り返しなのですよ




憎しみは何も生まないとか嘘


憎しみは一般ピーポーの   霊性の目覚め


だって特別じゃない人間が   枠の中に入れられた人間が


ブレイクスルーするには   それだけ強いエネルギーが


必要になるわけで


病気のような苦しみの中の   怒りや呪いだったり


憎しみのような   強い取り返しの念で


人は霊感や霊能力   シビアな眼力を手に入れたりするものなの




天から都合よく   何か降ってくると想いますか?   


そんな都合のいい話が   普通の人間に   あると想いますか?





養分を追い詰めてはいけない


生かさず殺さず   飢えさせてはいけない


血筋にそんな教えがあるのは


強い怒りや憎しみ   呪いが


能力の覚醒と   取り返しを発動させてしまうから




宗教は   憎しみが取り返しを発動させて


霊能力を目覚めさせてしまうから   


怒りや憎しみを禁止する   


いつまでも奪われっぱなしの   盲目のシープルでいてほしいの




歴史を見ればわかるでしょう   大衆が国を憎み始めたら


国はあっという間に崩壊してしまう


いかに憎しみの矛先をずらすか


恐怖で支配したり   宗教や道徳で封じたり   


階級で弱者を作ったり


他国といがみ合ったり   戦争へ駆り立てたり


宗教や国はいつの時代も   やっているのは同じことばかり


憎しみをそらすこと   封じること



大衆の憎しみ   取り返しほど恐ろしいものはないの






道徳や宗教   権力や抑圧で   憎しみを封じるほど


より弱者から   奪い始める   


負の連鎖は   取り返すべきところから   取り返さないから起きていて


取り返すべきところから取り返さないと


自分が守るべきものもわからなくなってくる


いつの間にか   守るべきものから   奪い始める



真面目な人の家や   信心深い家に限って   


子供たちは苦しんでいる


   


悪いヤツらが   家族や仲間を大事にしたり


社会に出てからも強運なのは


取り返しをちゃんとやってるから


自分たちは奪っても   奪われたことは許さない






悪を憎んではいけないなら   その反対側にある


善を求める意味もないわけで


それなら善悪で縛ることもなく   神も悪魔もなく


ただやったことがかえる


エネルギーの流れに任せることになる





















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