2011年12月16日金曜日

スピリチュアルとシュウキョーと。

スピリチュアル系の世界にハマっている人というのはすぐわかる。もしかしたら宗教系も・・・。それはただ一つ、「エゴ」という言葉を使うから。この言葉を聞いたのは何年ぶりだろう。死語となっていたと思っていたから、オカ板のとあるスレで久し振りに聞いて、まだ使っている人がいてびっくりした。潜在意識についてググッてみると、スピ系でこの言葉が当たり前に使われていることがわかる。

昔心理学の書物を読み漁っていた頃にフロイト関係の本にはよく出てきた。けれどこの言葉の概念はフロイトの時代の産物で、それから何十年経っても「エゴ」の存在を証明できた人がいないので、この概念はもはや精神分析の世界では使われていない。つまり、学術的に認められていないのだ。もちろん心理学の分野でも。確かそんなことを読んだ覚えがある。

うろ覚えの記憶だけれども、鬱病や統合失調症がポピュラーになった現在でも、それに関した記事に「エゴ」という言葉を使う人はいないことに気づく。心理学の学者がよく人気番組に出てくるが、この言葉を聞いた覚えがない。最近の心理学系の本を見ても出ていない。使っている学者はいないし、使っていたらかなり恥ずかしいと思う。20世紀初めの昔の学者が提唱しただけの、立証されていない、とうとう存在が認められなかった概念なんだから当然だ。

なのに、スピ系の世界ではまるで科学的に存在するかのように当たり前のように使われている。エゴ=自我のことなんだけれども、顕在意識を指して使っている感じがする。人の自我が生まれる頃と意識が発達するのは同時期であるからだ。「エゴ」という概念は「エゴイスト」の意味ではないんだけれども、どうもスピ系のエゴは「エゴイスト」的な意味で使われている気がする。

うーん。トリッキーだな。「エゴ」という言葉を使って、自分の中に何かよくないものがあるように思わせていないか?顕在意識は「エゴ」でもなく「エゴイスト」でもない。

この言葉を使えば使うほど、きっと自分の中にエゴイスティックな概念が育つ仕組みになっている。この言葉を使う人ほどエゴイスティックになっている。存在しないものに力を与えている。余計な概念を意識に刷り込んでいるとしたら弊害はとても大きい。

一体どこからどこまでが自我なのか、自我と顕在意識の違いは何か、「エゴ」の存在が証明できない一方で、エネルギーの存在は量子力学とか素粒子だとかナントカで全てのものがエネルギーで出来ていることが明らかになっている。脳科学の発展も寄与している。精神の世界と物理の世界の進歩は連動している。けれど、この世が全てエネルギーで構成されていることがわかると、社会の仕組みを根本から暴露してしまうことになるので、発表されることはないだろう。でもわかっている学者はもうたくさんいるはずだ。超能力の研究は進んでいるし、遠隔操作で電磁波を使って人を操作する武器や人体に埋め込むマイクロチップもその類だろう。

エゴが証明できないのは、目に見えなかったエネルギーの存在が明らかになったからではないだろうか。それは人間に関しても。精神の世界も物理の世界も既にエゴではなくエネルギーの時代である。


うお座


ここで、マドモアゼル愛先生の

もっとも科学的と思える現代が実は、魔法と魔術の時代であることに気づく人は少ない。

というお言葉に繋がってくる。『電波』と呼ばれる考えや、『波動』に実は真実があったりする。科学者や気付いた人たちが既に魔術をやっているのに一般人にだけ知らされていないと考えた方がいいのかもしれない。

0 コメント:

コメントを投稿